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東京生まれ、信州移住を経てインドへ。〜大日方望さんインタビュー〜

東京生まれ、東京育ち。
コロナ禍を機に塩尻市に移住してきたのんちゃんは、
中高生時代をインドで過ごし、 先日2022年4月に15年ぶりにインドを訪れたという。
そんなのんちゃんにこれまでとこれからを伺いながら、
今の思いを聞いてみました。

【プロフィール】
大日方 望(おびなた・のぞみ)さん。通称のんちゃん。

東京都出身で、長野県塩尻市にあるシェアハウス・宿場noie坂勘の元住人。 また、大門商店街にある「ミミー商店」の2階をアトリエ・ワークスペース・イベントスペースとして「スバコ」という名前で運営していた。
塩尻市のコワーキングスペース「シビックイノベーション拠点スナバ」の元会員でもある。

2022年8月にインドへ引っ越し、新生活を始めている。

Key words : 文化とともに生きる/移住のためのお試し期間/インドでの暮らし

塩尻市贄川のシェアハウス、宿場noie坂勘での一枚。

塩尻で、文化とともに暮らす。

2021年8月からちょうど1年間、
塩尻市の市街地から車で20分ほど離れた場所にある「贄川-niekawa-」という地域にある
築100年の古旅館を改修してつくられたシェアハウス「宿場noie坂勘(*1)」に住んでいたのんちゃん。

東京から引っ越してきた、いわゆる「移住者」です。

私も同時期に坂勘に滞在していたこともあって
ほかのシェアメイトとともにのんちゃんと過ごした時間がたくさんあります。

坂勘のシェアメイトとともに。

その中で、地域に根ざしている歴史や文化といった部分を
のんちゃんはとても大切にしているんだと感じる瞬間が多くありました。

のんちゃんは、住んでいたシェアハウスのオーナーが運営している古物商のお店をはじめ、
さまざまなお店で古いものを買って自分の生活の中に取り入れたり
地域のおうちに眠っていた着物を身につけたりしていました。
そのように「文化を大切に生きる」ことができる環境があったことは
塩尻に移住するきっかけの一つとなったそうです。

塩尻では和服にキャップ姿で過ごすことが多かった。

東京だったら変な意味で目立ってしまう気がするんだけど、
贄川なら着物を着ていることもそんなに変じゃなく思うんだよね。

それは、例えばたつみさん(坂勘のオーナー)が
地域の古いおうちから出てくる古いものを扱う仕事をしていて、
その中から使いたいものを自分が使えるという環境だったり、
坂勘の住人の一人で、中国の動画サイトで日本での生活や旅の様子を発信しているまさし(*2) が、
よく着物を着て生活をしていたりするからだと思う。

自分もできる限り文化を大切にしながら
古いものを使ったり身につけたりしたいし、 それが違和感なくできる環境がここにあると思ったんだ。

また、塩尻市を中心にさまざまなコミュニティに関わったりイベントに顔を出したりと、
「人とのつながり」も、のんちゃんにとって大切なもののようです。

塩尻市のシビックイノベーション拠点・スナバにて

塩尻のすごいところって、
プレイヤーがたくさんいて、彼らが少しずつオーバーラップしてつながっているところだと思うんだよね。

坂勘とかスナバとかの「小さな拠点」っていうものがたくさんあって
そこに共通して関わっている人もたくさんいて、
誰かを辿っていけばみんなと繋がれる網の目のようなコミュニティが広がっていると思う。
そのつながりの可能性を感じたとき、
今自分が移住するならここだって思ったかな。

自分にとっての「故郷」とは

人とのつながりや地域の歴史や文化を大切にすることができる
と感じた塩尻に 移住してきたのんちゃんですが、
そもそも、どうして「移住」することを選んだのでしょうか。

それは、それまでの人生での 「故郷」と深く関わりがあるようです。

安曇野の風景。

12-16歳の思春期を、親元を離れて留学先のインドで過ごしていて
いろんな国の人と関わりながら育ったこともあって(*3)
「自分がどこから来たのか」というアイデンティティがうまく作れなかったんだ。
異文化の中でも特に極端な「インド」という場所で、
自分のルーツってなんだっけ、という問いにぶつかったのかもしれない。

そして自分は生まれも育ちも東京で、 移住する前も東京で働いていたこともあって、
住む場所の地域でのコミュニティとか人とのつながりがあまりない環境にいたんだよね。
「故郷」と呼べる場所がないというか。

インド・デリーの夕焼けの空。

そのことがコロナ禍によってより明らかになったとのんちゃんは言います。

「人と会う」という今まで当たり前だったことが制限されたとき、
ご近所付き合いもなくさらに人との関わりが希薄になった都会。

関東で海外との仕事もしていて海外出張に行っていたんだけれど
コロナ禍でそれもできなくなって。

もともと都会には人とのつながりというネットワークがないっていうことは薄々感じていたんだけれど、
このときの体験でその感覚がより強くなった。
「お金以外のセーフティネットはない」と感じたんだ。

そのとき、このまちに住む未来が想像できなくなってしまったんだよね。

安曇野の田園風景。

そのようにして「移住」という選択をしようと決め、
いくつかのご縁で関わりのあった長野県が移住先として上がりました。

「大日方」という苗字が長野で生まれた姓で自分のルーツが長野にあるということ、
長野によく旅行していた友人をきっかけに、
長野との関係も少しずつできていたことなどが 長野への移住を決めた理由だそう。


信州移住

まずは、旅行先としても好きだった安曇野に移住しましたが、
そこに住んでいる間に色々なつながりが生まれたこともあって
塩尻市への移住を決めたそうです。

塩尻市街地の風景

もともと坂勘のオーナーのたつみさんとも知り合いだったし、
2020年の12月に塩尻にある坂勘に泊まりに行ったのが
塩尻との最初のご縁だったかな。

そのときは安曇野に住みながらコワーキングスペースを探していたんだけれど、安曇野にはなくて。
坂勘のたつみさんから
塩尻市にある「シビックイノベーション拠点スナバ(*4)」を紹介されてから
地域社会にこういう場所があることに新鮮さを感じて
仕事は主にスナバでしてた。

それからは、
スナバで仕事をして安曇野まで帰るのが大変っていうのもあって
坂勘にはよく泊まりに来ていて、
その中で 坂勘のコミュニティとか地域の人とか、 スナバに来ている塩尻の人とか、 つながりをたくさん持つことができるようになった。

塩尻市贄川にて。贄川は、かつて中山道の宿場町だった。

塩尻に自分の「場」を持つ

こうして塩尻に移住したのんちゃんは、
塩尻に「自分の場所を持つ」ということをするようになります。

そこでも、 塩尻で起こっていたたくさんの「こと」や人とのつながりが のんちゃんの背中を後押ししたようです。

まず、参考にしたのは 2021年度まで塩尻市の市役所職員で
現在は株式会社ドコモgaccoの 山田崇さん(*5)の本
『日本一おかしな公務員』。

元塩尻市役所職員・山田崇さんの著書「日本一おかしな公務員」

公務員としての勤務時間は週40時間。
それ以外の128時間にはひとりの個人として動き、公務員では許されないような冒険もする。
そして、それは40時間の公務員の仕事へフィードバックすることもできる。

元市役所職員の山田さんの塩尻市での取り組みや
その背景にある思いが描かれた本です。

山田崇さんの本を読んで、
「空き家問題の当事者意識を持つために空き家を借りてみる」 という取り組みが
「思いも寄らない使い方をする人が現れる」
という結果につながった話を知って、自分もやってみようと思ったんだ。

塩尻に来て、スナバをきっかけに関われる活動を探していたときに、
意外とスナバを通して参加できる活動がないなと思っていたタイミングで
スナバのスタッフ・がくせんさんと話をしたんだけど、
そうしたら、
「誰かのやっていることに関わるのもいいけど、 自分でテーマオーナーになってみるのもいいんじゃない?」
と言ってもらったんだ。

それらのことが重なって、
塩尻の大門商店街の近くで借りられる空き家がないかを探そうと
大門商店街で元・洋装品店だった場所を改修して、 アトリエ兼ポップアップ商店の拠点である「ミミー商店(*6)」を運営している吉江さんに相談したそうです。

塩尻市大門商店街にあるミミー商店。

ただ、大門には使える空き家がほとんどなく、難しいかもしれないとのお返事が。
しかし、ここでまたご縁がつながることになります。

大門で活用できる空き家はほとんどないけれど、
でもそういう場所を探しているということを相談したら、
ミミー商店の2階のスペースを借りるっていう話が出たんだ。

そこで、そのスペースを借りて活用するようになった。

まずは自分のワークスペース兼アトリエとして使い始め
少しずつ友人を招いたり、イベント時に開放するようになった場所は、
のちに「スバコ(*7)」と名付けられ塩尻の小さな拠点の一つになります。

スバコの1日の様子を残したダイジェスト動画。

実際に自分の「場」を塩尻に持ったことで、 まちの見え方も大きく変わったそうです。

ミミーの隣にある電気屋さんとか金具屋さんとか、
きっとここに場所を持たなければ関わることだけでなく
まちの景色の中で存在に気づくことさえなかったかもしれない。

あとは、いかに昼間、大門商店街に人が歩いていないかということも改めて実感するようになった。
まちの様子がより鮮明に見えてくるようになったんだ。

塩尻には「小さな拠点」と呼べるようなコミュニティがいくつかあります。
坂勘やスナバのコミュニティもその一つです。

スバコは、塩尻の人のつながりのネットワークの中にありながら
他のどの拠点とも違うコミュニティの拠点となりました。

毎週金曜日の夜には「スバコバー」を開催し、塩尻のワインや手料理とともに交流を楽しんだり、
朝にはヨガ会が行われたり。

スバコバーでは、昼間とは雰囲気の違ったミミー商店を感じられた。

参加している顔ぶれは非常に国際色豊かで、
コミュニケーションのために英語の会話が飛び交うこともしばしば。

きっと、ここによく関わっている人たちは 坂勘のコミュニティとも、スナバのコミュニティとも また少し違って。
でも、誰かがどこかとはつながっている。
そんな「小さな拠点」の一つであることは間違いないだろうなと思う。

まあでも、実際に商店街に面した場所と関わっていて、
空間としてもだいぶ作り込んで、 ここで開催しているイベントにも来てくれる人が緩やかなコミュニティを作っていて、
どこか違うまちへ行っても、たまにでも塩尻に「帰ってくる」理由になる場所に
ここがなったらいいなという思いはずっと持ってやってる。

実際、ここが自分にとっても塩尻に帰ってくる理由になっているから。

15年ぶりのインド、そこで出会ったもの

そんなのんちゃんは、1年間の塩尻生活を経てまた新しいフェーズを迎えそうです。

思春期に留学していたインドと再び関わりを持ち始め、 インドでの仕事を始めようとしています。
そのきっかけになったのは、2022年の4月に1ヶ月間15年ぶりにインドを訪れたこと。

留学時代のルームメイトだった友人とムンバイでの一枚。

中高生時代、インドでは本当にいろいろあった。
日本とは圧倒的に異なる国に来て、新しい世界に転生したような感覚もあったし、そこで今の自分の原点になるような体験もたくさんした。

一方で、暮らしていた学校と寮ではとにかくケンカばかりで大変だった。
でも、異文化の「い」の字も知らない12-13歳の子どもが世界中から集まって平和に暮らすなんて、無理があったのかもしれない。

けど、今回インドへ行って色んな人を尋ねてたくさん話して、
15年間どこかに抱えていた色んな人との和解がやっとできたんだ。
まあ、お互い15年経って大人になったしね。

ムンバイのビーチにて。インドの人口の多さが窺える一枚。

同時に、この15年のインドの大きな変化っていうのも実感した。
日本はこれからどんどんと人口が減っていく時代。
それとは対照的に、インドは人口がどんどん増えていて若者の割合が圧倒的に多い。
「これからは自分たちの時代だ!」
っていう自認もインドの人たちの中にあって、 ものすごい勢いを感じた。
まちが持っているあの熱量は今の日本にはないものだなと。

でも一方で、日本では信じられないくらいの格差社会っていうことは いまだに変わっていない。
経済の格差、教育の格差、その程度の甚しさも改めて実感したし、
だからこそ今、この国に関わりたいという思いも強くなったんだ。

今後インドでの仕事をしたいと考えるようになり、
インドへの出張を何度か重ね、まずは一年ほど住んでみようと思っているとか。

職場のある、デリー近郊の町・グルガオンの風景。

とてもスピード感のある選択で、
2022年の8月には坂勘を退去してインドへと旅立ちました。

移住における「試用期間」

何回かインドへ行ってみる。
まずは一年くらい住んでみる。

このようなステップを踏んでインドでの生活を始めようとしている背景には、長野への移住の際の経験があるようです。

長野に来たときに感じたことだけれど、
移住するにあたって、「試用期間」ってものすごく大切だなあと思っていて。

それぞれの地域にはそれぞれの暮らし方があるし、
それが「今の自分」に合うかどうかは 正直、住んでみないとわからないからね。

そういう意味で、 インドに一年くらい住んでみて
そのあとどうするかはまた考えようと思う。
僕も、「今」自分がインドに関わりたいと思っているということであって、
日本の中の地域としての「ホーム感」は塩尻にあるんだ。

東京には地域としてのホーム感はあまりなくて、
実家があるのと、利便性が高いから帰ることがある、という感じ。
逆に、それらがなければ東京に帰る必然性はないんだけれど、
塩尻は自分にとって日本の地域としての「ホーム」になってる。

これからもそうであるといいな、いつか塩尻には帰ってきたいなと思っているし、
そのときに坂勘やスナバや、スバコのコミュニティが 「帰ってくる」 理由になるんだろうなとも思う。

スバコで開催されたイベントでの一枚。

そんな、のんちゃんが創ってきたともいえる場所・スバコは
のんちゃんがインドへ移住するのにともなって
坂勘の住人でもあり、奈良井宿にて活動をしている人の手に引き継がれることになったそうです。

この場所が残ることで、塩尻との心理的な繋がりがつづくように感じ、
地域としてのホーム感を塩尻にもちながら新しい生活を始めるのんちゃん。
最後に、今抱いている塩尻への思いを聞きました。

自分がインドに行っている間も
塩尻に人が残り、人が増えて、どんどん盛り上がっていったらすごく嬉しい。

そこに自分が現地で関わることができないけれど、
インドから塩尻の関係人口でありつづけながら、
地域を盛り上げる活動をしたいと思っている人を応援したいと思っているんだ。

自分の地域的ホームである塩尻が盛り上がっていくことは、
自分にとってとても大事なことだと思っているから。


*1 宿場noie坂勘
長野県塩尻市贄川宿にあるシェアハウス。 築100年の古民家を改修して2019年に開業した。 移住者を中心に、10-15人程度が暮らしている。

「肩書きを捨てて、自分自身として生きる。」を始め、数々のことばが生まれているこの場所には、フリーランス・会社員・学生など、所属・年齢問わず多くの人が関わりを持っている。
上記のPVは、文中にも出てくる住人・まさしによるもの。

*2 菅沢誠士。
坂勘の住人で、日本の田舎での暮らしの風景を収めた動画を、中国の動画配信サイトbilibiliに投稿している。
今後は坂勘を離れ、パートナーとの旅の記録を動画にしていく予定だとか。

*3 のんちゃんがインドでの留学体験やインド再訪時の想いについて語っている動画はこちら


*4 シビックイノベーション拠点スナバ
長野県塩尻市の市街地にある、コワーキングスペース機能を持ったコミュニティ。 「シビックイノベーション」=「市民」自身が起こしていく「新しい何か」 塩尻市で活動している人を中心に、多くの起業家や個人事業主、会社員が集まっている。


*5 山田崇さん
元塩尻市役所職員・山田さんの近況やこれからのことをまとめた市民タイムズの記事はこちら。


*6 ミミー商店
長野県塩尻市の市街地にある大門商店街の一角にある、「シェアするお店」。 実店舗を持たずに活動している事業者さんが中心となってポップアップ出店が開催される。
シェアスペースであるミセドマと、ミミー商店オーナー・吉江さんの本業である看板屋「家印」さんのアトリエ、キッチン、中庭のスペースがある。


*7 スバコ
のんちゃんが運営していた、アトリエ・イベント・カフェ&バースペース。 ミミー商店の2階。
今後は、坂勘のシェアメイトでもあり奈良井宿の酒蔵の杜氏・まささんの手に引き継がれる予定。


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