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「風待ち」とは「信じる自分を選ぶこと」かもしれない。||風待ちステイを終えて

ひょんなきっかけなのか、
はたまた、必然だったのか。

2022年6月、わたしは
初めて伊豆稲取に流れつきました。

個人的な話をすると、
わたしは大学を休学して全国を旅しながら
人と人、地域と地域、人と地域を結ぶことがしたいなと
次のいっぽを踏み出そうとしているタイミングで。

知り合いも何人か住んでいて、ずっと行きたかった稲取。
この場所に、「風待ちステイ」なんてものがあるらしい。

港町の暮らしを旅する宿「湊庵 -so-an-」で体験できるプランで、
訪れる人、一人ひとりの思いに沿った滞在を
いっしょに考え、実現させてくれるものだとか。




私が2泊3日でお世話になったのは、
赤燈 -sekitou- 
「泊まれる裏路地カフェ」がコンセプト。

稲取へ来て、
私がいちばん初めに撮った写真です。

そしてここへ来た瞬間、直感的に思ったことがあります。

ああ、きっとここには素敵な出会いが待っている

根拠はなかったし、
そのときはよくわからない感情だったけれど、
「ここには何かある」
という感覚があったのです。

その直感は間違っていませんでした。
想像以上の出会いの数々が、私を迎えてくれたのです。

湊庵おかみ、こと悠衣さんの手作りケーキ。
1日目の夜。稲取住人さんとゲストさんとの交流。
夜の赤燈もかっこいい。
細野高原にて。
たまたま同じ日に宿泊だったゲストさんが撮ってくださいました。
野菜の気持ちになってみる。
サイクリングしながら稲取を案内してもらいました。
一年後の私への手紙。
風待ちステイの最後に、荒武夫妻からの粋なご提案。

とにかく充実の2泊3日。
いろいろな人と出会い、語り合い、
いろいろな景色を見て、癒され、
いろいろなものを食べて、お腹を満たす。

このような体験を提供してくださった
湊庵スタッフの方々、
稲取住人の方々、
たまたまご一緒したゲストさんへの
感謝の気持ちは尽きません。




人生の風を待つのが、風待ち港の役目です。

風待ちステイを紹介してもらったとき、
こんな言葉をいただきました。

いいことばだ、
と思ったけれど、その感覚はまだ曖昧だった。

風待ち
とは、なんだろうか

この3日間を通して、
その意味が、少しずつ感じられた、
そんな気がします。

「風待ち」とは、
信じることや信じる自分を、選ぶことなんじゃないか

このまちに住むということは、
このまちには、いい風が吹いてくるんだと
信じることを選ぶこと。

このまちに居心地の良さを感じるということは、
何をしようと、自分は自分でいられるのだと、
そんな自分を受け入れてくれる環境がそこにあるんだと、
信じることを選ぶこと。

このまちに「出会ってしまった」自分を
信じることを選ぶこと。

信じる、だけではなく、
信じることを選ぶこと。

それが、「風待ち」なのかもしれません。


私は今、
大学を休学して全国を飛び回り、
地域と人を旅しています。

どうしてこんなことをしているんだろうかと、
自分のやりたいことはなんだろうかと、
迷ったり悩んだりすることが、実は多々あります。

その迷いや悩みは、
自分でいくら理由をつけても消えるものではありません。
それらが去っていくのは決まって、

「行きたいから行く」
「会いたいから会う」

それが、なんの躊躇いもなく言えたときです。

「行く」ということに
「会う」ということに
理由をつけるのではなく、そんな自分を信じる。

行きたいから行く、会いたいから会うと
言い切る自分を信じると、選ぶ。

それができる空間を、
私はとても居心地がいいと感じます。

実は、風待ちステイを終えたあとも、
数日間、稲取に滞在していました。

次の場所へ旅立つ前に、
稲取で出会った方々に、
一人でもいいから感謝の気持ちを伝える場をつくりたい。

前日のわがままなお願いにも関わらず、
湊庵のオーナー・荒武さんは、「風待ちステイ報告会」の場を
セッティングしてくださいました。


2泊3日を振り返りながら、
考えたことや感じたこともことばにしながら、
改めて「稲取」というまちについて
みんなで考える時間。

そこで、「風待ち」ということばについて
どんなイメージがあるのか、
集まってくれたみなさんに聞いてみたんです。

このまちに住んでいる人は、
「風待ち」
ということばをどのように捉えているんだろうか。
その人なりの「風待ち」のイメージを聞いてみたい。

そんな興味から出た問いでした。

そしてこの問いは、
私が想像した以上に、稲取に住む皆さんの心に刺さったようです。

私が感じた、
「信じることを選ぶこと」が風待ちなんじゃないか
ということばを受けて、
それぞれが「風待ち」について考える時間が生まれました。

稲取に初めて来たとき、
「ここだ」と思って移住したんだよね。

「風」は「人生のチャンス」とか「タイミング」とかいう
イメージなのかな

「待つ」っていう言葉には
受け身なニュアンスがあるけれど、
「風待ち」はもっとこう、前のめりな気がする。

たしかに。
風を待っているだけだったら、
たとえいい風が吹いたとしても、
それを捕まえられないもんね。

私の稲取での「風待ち」は、
羅針盤を修理している時間なんだ。

ずっと稲取にいる身である自分にとって、
旅人たちが「風待ち」をするとしたら、
そのインストラクターみたいな立ち位置なのかもしれない。

きっとこれから、
たくさんの人が「風待ちステイ」を体験しに
稲取にやってくることになると思います。

そして、
そこで感じる「風待ち」のイメージは、
きっと一人ひとり全く違う。

その感覚を
自分の中で考えたり、稲取に住む人と共有したりしながら、
「風待ち」ということばの大きなイメージが
少しずつこのまちで形づくられていったら、
とても嬉しいな、と感じました。

そして、
私はこのまちでじぶんが風を待つ、だけでなく、
稲取に風を吹かす存在でもあったように感じています。

外からの風をまちに吹かすと同時に、
たまたま、そこに居合わせた者どうしとして、
同じ場所で、
それぞれの人生の風を待っている。





そのようにして人と人が出会うことは、
ありふれた日常であり、
偶然が無数に重なった奇跡である。



その奇跡を、私は信じようと思います。



2022年6月19日 早川芽生


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