【Meglog】200民族が暮らすトロントの街で英語学習:)英語成長と人として成熟したOSLで成長痛を感じる
こんにちは。
私は日本の大学生Megです。20歳にして日本から海外へ出て現在21歳、英語・中国語・韓国語の習得を目指すLanguage learnerです。
私は去年の夏、カナダの大都市トロントである英語学習プログラムに参加しました。その当時英語のスピーキング・リスニングレベルは、ぽろぽろと単語一つ一つ話し、簡単な文だけ聞き取れるくらい拙いものでした。
そのプログラム名は“OSL”。これまでにない度肝を抜く方法で英語を伸ばすのです。興味がある方はこの記事を読む前に下から概要を見てみてください;)
Introduction
このプログラムは英語コーチAneshと生徒3人で街を歩きながら人に話し掛け、ネイティブスピーカーが日常で使う文を実際に使って覚える超実践型英語学習法です。知らない人に話し掛け0から街の人との繋がりを作るため、苦労する一方大きな成長が期待できます。
OSL経験者は、人の個性や気持ちの持ち方によって、OSLを通して感じたことはそれぞれでしょう。しかし多くの人が口を揃えて、「本当に大変だったが楽しかった」「あの時はよくやったなと思う」と言います。苦労しただけに受講後“自信”を付けた人が多いようです。
私も受講前と受講後では心情に大きな違いがありました。
今日のMeglogは、OSL受講中どのように気持ちが変わっていたかついてのお話です。
受講前の悩み、受講中は温かい人情を感じ嬉しかったり、言いたいことが言えず悔しくて怒れたり、寂しい言葉を掛けられて悲しくなったり、様々な人の話を聞いて楽しくなったり。OSLを通して悩みが解消し、自分がどうしていけばいいのか分かったことなどなど。
OSL経験者がこれまで語らなかった部分まで、リアルに話します。
受講前
当時私は2つの悩みを抱えていました。
一つは英語の伸びへの心配。
語学学校に通って2カ月、周りの環境は自分と似たレベルの人しかおらず、限られた時間で話せるようになるためにはもっとネイティブスピーカーと話さなければいけない、と焦っていました。
同時に、当時はこう考えていました。言いたいことが英語で表せられないために英語を話す事にまだ抵抗がある。しかしもっと話さなければいけない。自分の性格を考慮すれば、もともとおしゃべりではないけれど、おしゃべりの人のように多く話せばよい。
そう生真面目に無理をし、現実と理想のギャップがストレスとなっていました。
二つ目はトロントに住んでいるのに知り合いや知っている文化が少なすぎて、知らないことへの不安がありました。移民ばかりのこの場所には特徴的な文化があるわけではないその特殊性も相まって、知らない土地へ来た私にとって地に足がついていないような感覚だったのです。
こうして英語上達への悩みと不安を感じていたその状況を打破するために、トロントの街を周り、英語を伸ばすプログラムOSLに参加を申し込みます。
受講中
OSL受講中、トロントで出会う知らない人との出会いと会話を通して、また英語コーチAneshのコーチング法によって、様々な感情を感じました。
知らない人に話しかけるぞわぞわとする不安、初めて話す人との心の弾みと緊張、いい会話ができたときの達成感、常識なんてない世界中のたくさんの新しいことを、直接人から教えてもらったとき感じた驚き。避けられたときの落ち込み、それでも人に話し続け克服した時に感じた自信、勇気。
心から喜びを感じ、怒り、悲しみ、楽しさで締めくくった受講時の心情は他には得難い成長に繋がることになります。
【喜~世界中の人と出会い視野が広がる喜びと、知らない人からの温かい人情~】
OSL受講前はトロントに住む人々がこんなにも国際色豊かで、こんなにも人情溢れる優しい人ばかりだとは知りもしませんでした。
カナダと言えば移民大国。
その中でも一都市トロントには200を超える民族が暮らしています。それは生粋のトロントっ子を見つけるのが難しいくらい。
ゆえに皆、外から新たにトロントへ来たニューカマーたちにとても優しく、温かく受け入れます。
それに話し掛ける人それぞれ様々なバックグラウンドを持っているのです。
一人一人の個性的な経歴や人生話を聞けば、一都市にいながら世界中のことを知ることができました。それの面白いこと面白いこと。
(ep.1)公園で出会ったギリシャ人の奥様方に、現地人のみぞ知る、観光客が行かない美しい島を教えてもらったり、
(ep.2)ガンビア人の男性とカフェで出会った3日後、彼が運営するガンビア太鼓のレッスンに飛び入り参加して一緒に演奏したり。
これらの経験談はほんの一部です。
ニューカマーの私に対する温かい言葉や、話やモノ、楽しいことを惜しげなく共有しようとする行動、それは知らない人からもらったものとは思えないほど人情に溢れていて、心動かされるものでした。相手が快く私と知識や楽しいことを共有してくれようとすることが嬉しく、またありがたく感じるのです。
人それぞれの意見や経験を聞き、こんな意見もあるのか、こんな人生があるのかと視野が広まると、偶然の出会いに心の奥から感動を感じました。
偶然の出会いが与える感動、知らないことを知り出会う人と距離が近くなる喜びはこのプログラムの醍醐味です。
【怒~反抗とプライドの放棄・意見表明の重要性~】
(ep.3)「俺のInstagram?え?(引いていると言わんばかりの目)」
受講中、Aneshと他の生徒とあるベーグル屋さんに入り、そこを出るときに、Aneshに「彼のInstagramゲットしてきな。」と言われ、若い男性店員さんに教わった文を使い”Are you on Instagram?”と話し掛けに行ったとき、思いっきり引かれました。Instagramアカウントをゲットするのは出会った人とこれからも続く繋がりを得るため。
やっていることは逆ナンみたいなんですよね。本当は自分から積極的にInstagramを貰いに行くといいのですが…逆ナンの台詞のようなことなんて自分の意志と反していて言いたくないのに、Instagramアカウント持っていない?と尋ねたところ店員さんに引かれたので、「勇気を出したのに、」と少し傷つき、私を行かせたAneshに怒れてきました。
OSLに申し込んだのは自分、英語を伸ばしたいのは自分、それでも自分の言いたいことと違うこと言うことは人権がない!と怒れてくる。
Aneshも生徒がそうして人としてのプライドに逆行することで彼に怒れることがあるのを知っています。それでも彼は続けるようにと生徒の背中を押します。
OSLは、自分の成長を信じて「Aneshの言うことに乗るか乗らないか」にかかっています。
彼について行けば、教わった文を人との会話で実践的に使用するので、自分が言いたいことと違うことも人に言わなきゃいけないし、
毎日特級の陽キャの最先端のようなことしなきゃいけないし。
話し掛ける9割の人は優しいが、たまに寂しい振り切られ方をすることもある。
それに英語がまだ得意ではないから「自分が言いたいこと」は頭をぐるぐるするばかりで英語ですらすらと口にすることは出来なくて、
自分に怒れるし、教わった文も状況によっては「言いたくない」と反抗したくなる。そのプライドは普段誰もが持っているものです。
知らない人に話し掛けることはただでさえ私にとっては緊張することでしたし、自分の意志とは関係なく教わった文で話しかけることはプライドを放棄しないといけない、とも感じました。
また机に向かわない方法に慣れていない人や、普段気軽に知らない人に話し掛ける風習がない地域に住む人なんかには抵抗が大きい。
私はOSLを通して留学中人並みに持つプライドさえも一度完全に手放す経験をして、
つらいけれども、それでも意志に反しプライドを放棄することで会話機会を多く積み重ねられましたし、会話から達成感と素敵な出会いの喜び、人から優しさを貰っていたことから、たまに寂しい人に会っても自己肯定感や自信が勝って気にならなくなっていました。
物凄く視野が広がったと思っています。プライドを捨てられなかったら、OSLの意義を感じられていたかは分かりません。
(ep.4)一度Aneshと、なぜ日本人はAffirmationをやらないのか、ということだけで言い合ったことがあります。
(Affirmationとは、自己肯定感を高めたりや周りへの感謝を感じるために口で発する活動で、北米では多くの人がルーティンにしているそう。)
普段私は人の話を聞くことが多く、許容範囲が広く柔軟な方ですが、
1時間くらい話続け、結局お互いその話題では分かり合えず、その時だけお互い半分怒りながら熱くなって結論が付きませんでしたが、私は自分の意見を伝えることを諦めませんでしたし、賛同できない彼の意見には自分の考えを曲げずに言いました。
特に大事な話題でもありませんでしたが、そうして一度ある意見に固執してディベートしたことで、「自分の意見を言う」という行動が自分から相手との間に対等な関係を作る、ということに気づいた気がします。
カナダでは、意見を求められたときにごまかしたり答えないなら、意見がないと思われます。
若いから仕方ないねとか、弱い存在、相手にならないと見限られることに心の中で怒りを感じていました。
しかしAneshは割とそこで見限らずに繰り返し繰り返し意見を聞き続けてくれるほうです。私の意見は?私はどう変化している?
それが意見表明の訓練となったように思います。心の中で考えていることを引っ張り出すように、意見を要求し続けてくれたことに感謝しています。それがあったから徐々に自分のことを理解し、言語化ができるようになったし、英語で人に伝えられるようになりました。
私にも考えがある。しかしその言語化と英語で言い表す力がなく、言いたい欲と、実力のギャップを感じ怒れていたのです。
【哀~掛けられる寂しい言葉・ステレオタイプや変な人への恐怖~】
(ep.5)「どこのプログラムなの。道で勉強してないで、学校に通いなさい。」
一度OSL受講期間中に話し掛けた一人の男性。医療施設の前で話し掛けた医療関係者で、アメリカからトロントの学会に来たという方にこう言われたことがあります。
それはOSL受講開始から28日目のこと。もうそのときには自分のプライドは捨てていたので聞き流しました。他の生徒もそういう経験はありますが、皆結局細かいことは気にしなくなって聞き流します。
Aneshも続けるように背中を押してくれる姿勢を変えないので、私に自分の効果的な言語習得のやり方があると信じ続けさせてくれました。
また、それまで出会った人との素晴らしい出会いが、また別の人に話しかければいい出会いがあると思わせてくれたし、目的にまっしぐらならそれでいいかと言う気にさせてくれたのです。
(ep.6) 目をギラギラとかっぴらきながら近づいて来た、60歳手前くらいの中年男性が楽しそうに言う言葉に、鳥肌が立ちました。
「日本人女性は韓国人や中国人の女性と比べて物腰柔らかで怒らなくて従順だ。韓国人や中国人の女性は男を叩くし怒鳴るだろう?チーズケーキ買ってあげるから一緒に来て。」
個人の個性を無視してどんな偏見で人を見ているのか。あなたの欲望のままに人を侮辱するような言葉をぶつけてくるな、という怒りと同時に、
いち日本人として、そんなステレオタイプが存在しているのかという大きな悔しさと悲しさを感じました。
客観的に見ればこれが日本人女性へのステレオタイプの一つです。誰もが国や民族に対しステレオタイプを持っていて、メディアや経験から日本人女性へのイメージがあります。
大多数の人はステレオタイプを口にしないので悲観的に考えることもないですが、
当時私は、急に自分が日本人女という存在なだけで、知らないおじさんに“チーズケーキ”で搾取されているように感じました。(もちろんついて行きませんでしたよ)
その後はおじさん世代をなるべく避け、他の生徒とずっと協力し会話を持つようにしました。
しかしこんなどうでもいいことは気にすることもないと思わせてくれた方がいました。トロント在住、知り合いの先輩日本人女性が、似たような経験を汚い言葉でも発しながら笑い話にしているのを聞いて、私のようにこうしてへこんだりして反抗しないから舐められるのだと気づき、自分の意見を発言し自立しようと火が付きます。
【楽~知識が増える楽しさ・コミュニケーションの楽しさを知る~】
OSLを通しトロント中の建物や、やコミュニティ、銅像、カフェなど様々な場所を周って、トロントの事にすごく詳しくなりました。
自分がどのようなところにいるのか、ここで誰が有名なのか、地域歴史はどんなものだったのか。街に何があるのか知らない状態から、街のことが明らかになったそのおかげで、ここに暮らす不安が完全になくなりました。
かつてはどのような街だったのかによって今の街の雰囲気は当然違います。また外観しか見たことがなく何の建物か分からなかった場所の中にもOSLで中まで見ることができました。それに現地人に聞いた、どこにいい店やカフェ、噴水など癒し空間なんかがあるのかを知るのも楽しかったです。
トロント中を歩き周りながら、カナダ全体の歴史も教えてもらって、
先住民族Native Canadianのこと、カナダであった歴史的事件や戦争のこと、今のニュースに関連する歴史的重要人物のことも知りました。
今は同じようにもしくはトロントに長年住む人以上に今に続く地域歴史を知っていますし、心と知識はかなり豊かに充実し、余裕が生まれていました。
また、OSLを通し、会話を楽しむマインドが生まれました。
街でたくさんの温かい人に会い、彼らのおもしろくて興味深い話を聞いて、彼らと本当にいい時間を過ごすことができました。
その時々を楽しいと感じられるようになっていました。
相互に築き上げるコミュニケーションは一期一会で、
彼らの話は私にとって新しい情報ばかりで興味深かったのです。バックグラウンドや経験話、今仕事は何しているのか、これまで行った旅行先で一番良かったところは?何語を話すの?
トロントでの活動により、私はコミュニケーションを楽しむという発見をし、またコミュニケーション力を掴むことができました。
彼らの会話の内容にも、彼らと話している自分にも驚いて、自分の見える世界がぞーーーっと広く広く広がる感覚を何度も感じました。
目の前に見えるかのように広く広がる世界への期待と喜び、自分がもつ潜在的な常識の枠を超えてくるたくさんの新しい情報にはわくわくと高鳴りを感じていました。
そして初めて会う人たちとの良い会話が私の助けになって、自分に適した英語勉強法にそれ以上学習法で悩むことがなくなりました。言語習得に必要なものは勉強ではない、OSLで教わるような日常文をまるまる覚え、会話をただ楽しむついでにそれらを使うことだというのが私の意見です。
わざわざおしゃべりにならないで、ありのままの自分を見せる。だから今もっと必要なのは会話を続ける人としての少しの能力とか、相手のことをほめるポイントを見つけておくすこしの気遣い。
受講後
OSL卒業日、辛かったことを思えば長く感じ、終わることにほっとする一方で、結局楽しかったことの方が多く、もう終わってしまうのかと惜しく感じていました。
こんなにも充実した時間を過ごせると思っていなかったので、これまで会ったすべての優しい人たちと、Anesh、他の生徒2人に感謝の気持ちでした。
受講中たくさんのことを感じたから、卒業してから必ず恋しくなることは分かっていました。
Conclusion
正直賛否両論、好き嫌いはあります。しかしこのプログラムの内容と趣旨を聞いたたくさんの人が、「あなたのやっていること素晴らしいわね、それこそ言語学習の根幹を突いたものだ。」と賛同します。
受講前に感じていた英語の伸びへの不安と無知への不安は完全に解消され英語スピーキング力は期間相当以上に伸びたと思います。
また受講中に感じた、世界中の人と出会い話す喜びや、プライドを放棄する前の怒りの感情、けなされていると感じたときの悲しみ、コミュニケーションの楽しさなど、どれも成長の糧です。
受講後OSLでの経験が、充実していた、楽しかった、成長できたと思えたことで、
私にとってのOSLは価値あるものだったと感じることができました。:)
最後までお読みいただきありがとうございます;)
来週Meglog【語学マインドセット】
一つの言語を身に付けるのってすごく大変なことですよね。さらに惜しいのは、一度話せるようになった言語も、使わなければ時間とともにすぐに忘れていくということです。来週、語学の長期的現実的な話しについて書きます。
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