私が眼鏡を外した時
自分の中で活動がオフになるスイッチの存在を確認している。
それは
家に帰った時でも、
作業着を脱いだ時でも、
風呂に入った時でも無く、
眼鏡を外した時にスイッチがオフになるのだ。
以前にも眼鏡については書いたのだが、
俺はド近眼である。
眼鏡を外し裸眼になるとほとんど見えていない。
なので朝起きてから夜寝るまで、
一日中眼鏡を掛けていないと生活もままならない。
よって、
眼鏡を外す=寝る
というオフスイッチが成り立つ訳だ。
なのでうっかり外そうものなら
意図せず睡魔が襲ってきてしまう。
歯医者で診察台がリクライニングして、
『それでは眼鏡を外してくださいね』
となるとオフスイッチ発動。
口内をこねくり回されてるにも関わらず
ガックンガックン寝落ちしてしまう。
『お疲れでしょうけど頑張って下さいね〜』
なんてグイと口をこじ開けられて、
声援まで送られる始末。
つい先日は治療されながら夢まで見た。
眼鏡は掛けていると徐々にフレームが広がったり
緩くなったりするものだ。
その度に眼鏡屋に行って
フィッティングをしてもらう。
その時も眼鏡をお預かりされて、
『しばらく店内ご覧になってお待ち下さい』
と言われるものの、なんも見えないので
大人しく備え付けの椅子に座る。
やはり短時間の裸眼でもオフスイッチが発動して
気がつくと舟を漕いでしまう。
このようにどんな状況下でも
眼鏡を外すと寝てしまうので、
俺にとって眼鏡は重要なマイメンであり
ライフラインでもある。
今じゃ懐かしい光景になりつつあるが、
ライブでモッシュやダイブがあった頃。
たまに踏み潰されて
クチャクチャになった眼鏡を見かける。
それを発見する度に、
「これを掛けていた人は軽度近視なのかなぁ‥」
と思ってしまう。
なぜなら俺だったら裸眼で家に帰る自信が無い。
暴れたくなる気持ちはよくわかるが、
もっと眼鏡を大切にしてあげて頂きたい。
とまあこんな感じで
眼鏡を外した途端に世界がぼやけてしまうので、
その瞬間に情報量がグッと落ち込む。
それ故に眠くなってしまう。
そういう体験をしているからこそ、
眼鏡で矯正をしながらも五感をフルに使い
生きられていることに喜びを再認識出来る。
目が悪いとデメリットばかりに感じるが、
こうして喜びにふと気付けたら
少し前向きになれたし、
感謝の気持ちも溢れ出てきた。
眼鏡いつもサンキュー。