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johari window


高校生の頃、不登校になった。


そのときに興味があった

仏教の勉強会に参加した日に

ジョハリの窓を教えてもらった。

ジョハリの窓は私に新しい視点をくれた。


それから、月日は流れて

今わたしは30歳を目前にしている。

あれからたくさんの私を見つけては

向き合ってきた。



良いも悪いも他人からの指摘で
盲点の窓がひらき

秘密の窓を他人の前で
どれくらい開いていいのか迷い怖がり

未知の窓に
まだ見ぬどんな自分が居るのかとワクワクしては、知らない自分におびえて生きてきた。



どんなときも、その感情や経験から

逃げるということが出来なくて

真っ直ぐに向き合っては

自分にあるいい部分も悪い部分も

許して、許して、許してきた。



見えない、形のない
自分という存在の核と心を
探るという作業のために

わたしには
たくさんの知識と言葉が必要だった。



そのために色々な本やブログを読んだ。

色々な宗教の教えや考え方
スピリチュアル、精神世界
占い、詩、心理学、哲学
たくさんの人の体験談や悩み


暇さえあれば何かを読んでいて

ずっと何かを探していたのだと思う。

今思えば、データ収集に近い感覚だった。


今は積ん読ばかりで、気になった時に読む程度。


読んでいてもすぐ飽きてしまう自分が

あまりにも違いすぎて笑えてきたりする。


そんな日々を何年も過ごしてきて

今、自分のいちばん核となる部分に

触れられる気がするような

窓の前に立たされている。


盲目の窓 と 未知の窓が

開かれてきている。

それは、わたしがずっと探していたもの。


わたしのジョハリの窓。


描き終わってから、窓の名前と位置を確認したらなんだかそれらしい色使いで面白かった。

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