目に見えるものだけじゃない"なにか"
以前、舞台で共演した役者仲間さんからラインが届いた。
元気ですか?
SNSはつながっているけれど、これまで個人的にあまりラインしたことなかった。
元気だよ!そちらはどう?と返すと、元気です!とのことだった。
突然どうした?なにかあった?と聞こうと思った指を止め、驚いたけれど連絡嬉しかったと伝えた。
どうやらこの自粛期間に思い切っていろんな人に連絡しているらしかった。
突然のラインだったので、なにか相談事でもあるのかな?と心配してしまったけれど、よく考えたら、なにかないと連絡しちゃいけないわけじゃないよなぁと思い、言わなくてよかったと思った。
たまに、しばらく連絡を取っていない人のことがふと頭に浮かぶことってありませんか?
あれってなんなんだろうね。
実際に連絡取ってみると、相手も最近どうしてるかなと思ってたとか、連絡しようと思っていたところだったとか。
これって目に見えないものだけれど、やっぱり"なにか"あるような気がしていて。
自分の中の感覚でしかないから"なにか"を証明するのは難しいのだけれど。
思い切って連絡してみようと思った人たちの中に私がいたことも素直に嬉しかったし、変に勘ぐってラインをくれた理由を無理に探そうとしてしまった自分を反省した。
その後しばらくの間、時間をおきながらたわいもない会話が続いた。
そういえばお仕事仲間からラインが来た時も、必要な連絡が済んだあとも会話が止まらなかったし、前によく通っていた行きつけのバーで知り合ったお友達と最近毎日のようにくだらない会話が続いている(もちろん良い意味で)。
SNSで近況は知れてても、やっぱり直接のやり取りが足りてないんだな、みんなコミュニケーションを欲してるんだなと思った。
オンライン配信やオンライン飲み会が流行ってるのもうなずける。
直接会ったりすることがなかなかできない今、画面を通してだけど同じ時間を共有して、対面して声でやり取りができるのは嬉しいし楽しい。
GW中に『12人の優しい日本人を読む会』のYouTube配信を観た。
三谷幸喜さんが書いた1990年初演の大好きな作品。
話の展開は知っているけれど、オンラインで朗読(もはや朗読のレベルは超えていた)するみなさんのお芝居は素晴らしかった。
もっとも、初演メンバーを含む素晴らしい役者さん揃いだから当然といえば当然なのだけれど。
オンラインならではの演出やカーテンコールには感動さえ覚えた。
後半、ずっと待っていた4号さんのあの“気づき”にキターーー!となった瞬間、友達からラインが来てそのままラインしながら楽しんだ。
舞台上じゃなくてもこういうやり方もあるのか。
客席にいなくてもこういう楽しみ方もできるのか。
演劇の可能性が広がるね。
今後もっといろんな形が生まれるんだろうな。
そうすれば演劇ももっと人々の身近なものになるかもしれない。
でも、
でも、
やっぱり劇場が恋しい。
この情勢では仕方ないと頭では分かっていても続々と中止や延期の情報が毎日流れてくるのは辛いものがある。
お芝居できなくなって、観に行けなくなって、劇場が特別な場所だと改めて思い知らされた。
お客さまが客席にいらっしゃる場で、生で演じて、生の反応を受けて、作品を生きてお届けできるってことがどれほど貴重で尊いものか。
演じる側も観る側も、その場で生で共有してる空気感というのは、その場にいた人しか感じられないものだと思っていて、DVDや無観客配信などでは伝わりきらない。
この空気感というのも目には見えない"なにか"だと思っている。
ずいぶん前に、「あなたにとってピンと来たものは追い風なんだよ」と、ある方に言われたことがあった。
ピンと来たもの、直感とか第六感的なもの。
なんだかふと頭をよぎったのにまぁいっかと過ごしてしまって、あぁあの時こうしていればと思うことがあったり、直感で行動したことが良いことにつながったこともある。
この言葉がすごく腑に落ちて、それ以来ピンと来たものやふと頭をよぎったことはできるだけ見過ごさないようにしている。
でもなんでもかんでも神経質になりすぎるとそれはそれで疲れてしまうので、まぁいっかも必要だけれどね。
『星の王子さま』でキツネが言うよね、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と。
目に見えるものだけじゃないものも大切に感じて信じて生きていきたいなと思う。
ラインをくれた役者仲間さんも思い切って連絡してみて取れたコミュニケーションが追い風になっていたらいいな。
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