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【書籍】化粧せずには生きられない人間の歴史

人は一体いつ頃から「化粧」という行為を始めたのであろうか。化粧史の始まりを知りたいと思って手にとった本書。

というのも、写真のデジタル化、およびスマートフォンにカメラ機能が搭載された点、およびSNSの普及によって、誰しもがセルフポートレートを気軽に世界中にアップできるようになった。

しかも、アップされる写真はアプリなどを用いて加工されていることが当然の行為として認知されている。加工された写真は、本人の理想系としての表層をしているのだ。

一方で、AIによる画像生成が一躍脚光を浴びた2022年には、Instagramを代表するSNSに数多くの画像がアップされていた。さらには、こうしてアップされた画像の多くが「女性」であり、いかに現実に実在するかのようなリアリティを追求した、言うなれば男性的な視点からみた「理想の女性像」がそこにはあった。

AIによって生成される「理想的なイメージ」と、加工によって生成される「理想的なイメージ」。一般的に前者は男性的な理想系で、後者は女性的な理想系。

なお、ジェンダー論的な問題に踏み込むつもりは毛頭なく、よりよくみせること、すなわちメイクアップ(化粧)という行為はさも当然のこととして認識されているが、こうした行為は一体いつから始まったのであろう、というのが、本書を手にした出発点でもある。

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本書で石田は「化粧」という行為を、一般的に認識されているメイクだけには止まらず、広義的な言葉ー風呂やトイレット、抜歯などーとして捉えている。

また、化粧の歴史については『化粧は人体の表面にするものであるため、痕跡が残りにくいから(p59)』としたうえで、推測や文献の記載があるという表現が多くなりがちであると指摘している。

そのため、化粧の歴史は広義的に衣服の歴史と同等に捉えることが一般的とされているそうだ。

画像としてみる最古のものとしては、古代エジプト時代に描かれた壁画が存在するという。そこに描かれたアイメイクが化粧の起源として扱われている。

日本では縄文時代の出土品に櫛が多数存在ように、美意識の高さを伺い知ることができる。

なぜ、何のためにという理由は推測の域から脱しないが、事実としての「化粧」は確認できる。

本書で歴史的に詳細な記述となってくるのがルネサンス期以後であり、書物や絵画等を鑑みると当然といえるであろう。

しかし、「人間の歴史」と銘打っていながら、化粧の定義が広義すぎるため、私が知りたい核心に触れることはなかった。

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上記の記事には以下のような記載があった。

メイクの起源。紐解いてみると、なんと私達は衣服を身に着ける前、3万年以上前から顔や体に色を塗る化粧をしていたそうです。体毛をなくし、裸の肌をさらすようになってすぐに肌の保護のために、そして目に見えない邪悪なものから身を守るための魔除けの目的でメイクが始まりました。

裏をとる必要はあるが、私が欲していたのはまさにの部分。しかも本書では衣服の歴史と同程度としていたが、さらに昔から化粧をしていた可能性を示唆しているのである。

よりよくみせるため=Make Upに用いられている化粧。一方、写真を加工する=レタッチ、Re-Touch、すなわち「再び触れること」。そこには「手作業」が入っているのである。

この手作業の完成度(完成形)は時代によって異なっており、10〜20年程度のスパンのトレンドがある。

よりリアルに近づこうとするAI画像と、より理想的な表層を追い求める人類。

現在一般的に認知されている化粧の意義よりも、その始まりはもっと本質的な理由で用いられていた。

気がかりである点は、SNSなどには「理想の私」をアップしている一方で、実世界の私、すなわち鏡越しの私は理想系とは大きく乖離している可能性がある。そのギャップをどのようにして消化(受け入れ)しているのであろうか。

承認欲求としてはバズればいいのかもしれないが、理想と現実との乖離に、自ら首を絞めることになるのではないであろうか。

とはいえ、AIはますますリアルな人間に近づいていき、実世界の人間による画像はますます実像(実際の見た目)から乖離していく。

もう少しその動向は継続して追っておきたい。

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追記。

ふと美容整形はいつから始まったのか気になり検索してみると以下の記事にまとまっていた。

医学的には1845年が始まり。1900年頃から美容整形手術が増える。そして大きな発展を遂げたのが1950年代。戦争によって負傷した兵士たちの形成手術によって技術が向上したそうだ。

写真においては実際に手術をせずとも、加工やフィルターによってその容姿を容易に変更することができる。

かつて写真の加工が焦点となっていた。コンテストでも「加工を行っていない『写真』であること」と未だに注意書きがあったりと、今なお前時代的(フィルム時代)な形態が「写真」として認知されている。

しかし、本来写真は「加工」によって生成されたものである。それをよりよくみせようという行為、いわゆる美容整形的な加工が施された写真は、そんなのは写真ではないとみなされてきた。

ディープフェイク技術によって嘘が「加工」されるようになったことで、盲目的に信じられていた写真の真偽性はもはや意味をなさなくなった。

現在のトレンドは誤用やミス、プロセスの過程などを暴露することなどが挙げられるが、正直なところそんなことは自明な点なので、こうした点にもはや面白味は感じられない。

では、写真の次なるフェーズとは、どのような世界になるのであろうか。新たな世界はまだ見ぬ新たなイノベーションによってもたらされるのかもしれない。

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