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【書籍】無対象の世界 カジミール・マレーヴィチ

「構成芸術」の名付け人であり、シュプレマティズム(絶対主義)の提唱者である、ウクライナ出身の画家・美術理論家のカジミール・マレーヴィチ(1879-1935)。

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マレーヴィチは造形の新しい形式の作用を「心理的技術」と呼び、この新しい形式自体そのものを付加的要素の内容が活性化され小片として捉えていた。

付加的要素とはひとつの文化の兆候、絵画においては「直線」と「曲線」の独特な用法によって表される兆候である。

動向としては、「セザンヌ主義」→「立体主義(キュビズム)」→「シュプレマティズム(絶対主義)」へと移行してきた時代である。

それまでの絵画は、プラトンのいう「模倣(イミテーション)」→アリストテレスの「模倣(ミメーシス)」が主となり、審美性に富む絵画が主流であった。

セザンヌの絵画における付加的要素の作用は繊維状の「曲線」に認められるのだが、立体主義の鎌形の付加的要素ないしシュプレマティズムの「直線」の作用とは根本的に異なる芸術家の姿勢をもたらす。

また、人間の独創的な創造にはふたつの道があるとし、
・科学的ー形式的な(意識の)道
・美的ー芸術的な(潜在意識ないし超意識の)道
が開かれているとみている。

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芸術作品は時代の進歩に応じて評価されると仮定できるとするならば、芸術作品それ自身のみでは絶対に測定できるものではないとともに、芸術に進歩はないと断言している。

現在からおおよそ100年も前の段階で、マレーヴィチはこの真理に到達している。作品そのものだけでは良し悪しを判断することができない。過去の作品と比較することによってのみ、その作品における芸術的な判断が下され、時代の進歩によってその価値が決定付けられる。

これは、人間が物事を判断する行為そのものであり、我々は断片的な記憶のデータベースと照合して、そのものが何であるかを理解しようとする。ところが、データベース上に類型的な情報を持ち得ていない場合、人は「わからない」「理解できない」とみなす。

それでもなお、わからないながらも分かろうと理解しようと試みる。断片的な記憶の中にほんの少しでも似通った情報を頼りに、そのコードを解読しようと努める。

このあたりは、認知科学の観点から以下の書籍に詳細に記載されてある。

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「絵画」の一般的な概念は以下のように細分化されるという。
「1:色の線描、2:色面=絵画、3:本来の絵画」である。

我々は日常的に自然界に存在するものを「実際の形」として色彩を見ることに慣れてしまっている。そのため、絵画の色彩構造が日常から乖離し、新たな「わけのわからない」関係として描かれることに理解ができなかった。

様々な絵画の潮流は主に「1. 純粋な色彩のグループ」と「2. 混色のグループ」に分けられる。さらに2.は、「色彩過敏症者たち」(ファルベルショイエン)のグループと呼ぶことができるとみている。

さらに第三のグループとして「芸術創造における最低の形式のグループ」が存在し、「まったく考えられないような折衷主義者たち」であるという。

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マレーヴィチはシュプレマティズム(絶対主義)を主張したことで知られている。「芸術作品の不朽にして真実の価値とは表出された感覚以外にはない」と言い切るように、感覚は決定的なもので、最終的に芸術は無対象表現に、すなわちシュプレマティズムへと到達すると述べている。

彼は、『「物」と「表象」が感覚の模造とみなされることに気づき、意思と表象の世界の虚構を見抜いた』末にたどり着いたのが、白地黒い正方形しか描かれていない≪正方形≫(1913)であった。

正方形は感覚、白地はその感覚の外側にある「無」を表現した作品であった。しかし世間一般的にはこうした捉え方はされずに、むしろ無対象的な描写に芸術(絵画)の終焉をみていた。「感覚の形態化という直接的な現実性を認めなかった」と彼はいうように、世間との乖離がここには存在していた。

シュプレマティズムの要素とは、絵画においても建築においても、いかなる社会的な傾向とも、それ以外の物資主義的な傾向とも無縁である。

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具体的なものの延長線上には、善(意識)としての宗教と科学が位置し、抽象的なものの延長線上においては芸術(潜在意識)がある。

明晰な自身の意識と、曖昧な潜在意識との間の相互作用について考察することが芸術的な営みであり、考察する行為そのものをマレーヴィチは「芸術文化」の科学と呼んだ。

かつての規範的な絵画としてレンブラントを挙げる一方で、非規範的なものとして立体主義、すなわちキュビズムを挙げている。立体主義には新しい付加的な要素として曲線と直線の新たな相互関係があると指摘している。

新たな表現形態はそれまでの規律の否定、排反することで発展してきた。逆説的にいえば、現在主流な表現と相反する意識、問題点、表現方法などを確信犯的に提示できれば、それが新たな表現として確立される、かもしれない。いつの時代も新たな表現者はマイノリティであるのだ。

完全に否定される表現であれば、それは新たな表現方法として認知される可能性を秘めている。ただし、その表現の正当性を立証できる武器を、すなわち知識と言語化能力が必要となる。ただし、アーティストが必ずしもその武器を有している必要はなく、キュレーターやギャラリスト、批評家や評論家などの第三者が代弁することが可能である。

「表現」とはまさしく未知のものを精密な科学的描写によって克服することであり、それを既知のものへと転換することであり、また無意識なものを意識的なものへ、暗いものを明るいものへと変容させることである。

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時は第一次世界大戦の最中。絵画の主題はかつてのリアリズム絵画における明確な対象物から次第に解体されていった。

直線と曲線によって構成される無対象なものへ、そして≪黒の正方形≫(1915)へと極限(ゼロ地点)まで押し進められる。それは、絵画がふたたびかつての美術へと回帰しようとしていた時代における、ひとつの抵抗の表れでもあった。

この絵はペトログラード(ロシア帝国の首都)で催された「最後の未来派絵画展0.10」(1917)に出品され、壁の境界部にあたる、天井付近にひっそりと飾られていた。

それは、ロシア正教を信仰する家庭において、宗教的なイコン、すなわち崇敬の対象を意味する位置に掲げられていた。この絵はまさに当時の絵画史におけるイコンとしての役割を担っていたことにほかならない。

絵画というフォーマットに何か(対象物)が描かれているとき、人はそこに何が描かれているのかを、そしてその意味を理解しようとする。しかし、そこに描かれたものに意味はなく、あるのはただの黒い正方形だけ。それは紛れもなく絵画ではあるのだが、果たして人はそれを「絵画」とみなすことができるのであろうか。鑑賞者にその絵の意味を問わせ、既存の価値観や概念の真理を自らに問いかけ、その絵から何かを読み解こうとする行為から生じる純粋な感情こそがアートであることを提示していた。

デュシャンはかの有名な≪泉≫(1917)によって、美しくないものもアートになりうることを提示した。デュシャンが提示したものは、美術から美学を引き算したことにほかならない。ここから現代アートが始まったといわれているが、それは現代アートがアメリカによって開花したことを意味している。さらにいえば、デュシャンは美術(絵画、彫刻)以外の表現方法によってもアートになりうることを示したことになる。

マレーヴィチもまた現代アートの、とりわけ絵画における現代アートの先駆者といえるのだと思う。それまでの美術(絵画)には何かしら主題となるものが描かれていたのに対し、マレーヴィチが提唱(1915年)したシュプレマティズムによって、無対象なものも絵画となりうることを、すなわち美術が持ち得ていた審美性を解体し、何をもってアートであるのかということを問いかけるということを提示していたのだ。マレーヴィチの絵画は、のちのアメリカに端を発する抽象表現主義の原始であるともいわれている。

ただし、先に触れたように、現代アートとはアメリカの、もっというとMoMA主導によって作られた歴史であるため、その原始はアメリカ発祥でなければならない。デュシャンは第一次世界大戦の最中、難を逃れるためにパリからアメリカへと移住した(1915年)。デュシャンは「絵画は死んだ」と述べており、すなわち西洋的な美術は終わりを告げ、その歴史の舞台をアメリカが先導していくことになる。

1917年は第一次世界大戦(1914-1923)が引き金となり、ロシア革命(二月革命、十月革命)が勃発する。ロシア帝国が没落し、ソビエト連邦となった同年、マレーヴィチは新政府側について活動を行う。教職に就いたのもその翌々年(1919年)からである。

同時期のロシア構成主義とシュプレマティズムによって、アートはプロバカンダの一端を担うことになる。少し話しはそれるが、第二次世界大戦中において、旧ソ連では「コラージュフォト」が独自の発展を遂げていくことになる。そして、この「コラージュフォト」がプロバカンダとして大々的に使用されるようになる。

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キュビズム、未来派、シュプレマティズム、・・・、抽象表現主義、コンセプチュアル・アート、ポップ・アート、オプ・アート、・・・。時代の流れがだいぶみえてきた。残すはフォーヴィズム、ダダ、シュルレアリスム、ネオダダ、といったあたりを補間しておきたいところ。買ったきり読めていない以下の書籍を読んでおかないと。



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