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【書籍】5000日後の世界

ケヴィン・ケリーによる5000日後の未来を、テクノロジーの観点から展望した本書。今から5000日後は2035年。なお5000日前は2008年にあたり、昨年Metaへと社名を変更したFacebook社が創業した年にあたる。

ケヴィンはテクノロジーに耳を傾け、『「テクノロジーは何を望んでいるのか?」と問いかけること』を念頭においている。

人間の立ち位置からテクノロジーを理解するのではなく、テクノロジーの側にたち、世界の成り行きを読み解こうとする姿勢。

ケヴィンは今後50年にわたってAIが主なトレンドとなるとみている。その結果、「100万人単位の人たちが一つのプロジェクトで同時に一緒に働くことが可能になる」と述べている。

そのプロジェクトを遂行するうえで、「現在はまだ存在しない新しいツール」として「ARの機能がついたスマートグラス」を例としてあげている。

また、必須となるのは「リアルタイム自動翻訳」であり、近い将来には言葉の壁はなくなるであろう。現在ですらDeepLに代表されるような、精度の高い翻訳ツールはあるが、こうした翻訳機能がゼロタイムかつシームレスに行われることはまず間違いないであろう。

本書の副題『すべてがAIと接続された「ミラーワールド」が訪れる』にもあるように、近年ケヴィンは「ミラーワールド」に着目している。

ミラーワールドはイェール大学のデビッド・ガランター教授が広めた言葉で、「現実世界の上に重なった、その場所に関する情報のレイヤーを通して世界を見る方法」である。

ミラーワールドを直感的に体現できるのが、ARである。さらに、ミラーワールドでは『歴史は「動詞化」』され、その場で過去の状況を呼び出すことが可能となる。google mapsのタイムラインを、スマートグラスなどを利用してみることになるようなイメージ。

スマートフォンの次に来るものは、ウェアブルなスマートグラスであるとケヴィンは指摘している。将来的には「グラス」さえも不要な、コンタクトレンズタイプが主流となるのではないか、と私は想像している。

実はすでに「Mojo Vision」社がARディスプレイを搭載したコンタクトレンズの開発を行っている。


インターネット(第一)、SNS(第二)のプラットフォームを経て、ミラーワールドが第三のプラットフォームへと躍り出る。『物理的な全世界をデジタル化したもの(=ミラーワールド)』がイニシアチブを握るとケヴィンは予見している。


ミラーワールドが巨大なプラットフォームとなった時代が訪れたとき、われわれはその利便性に多大な恩恵を受けるであろう。しかしその一方で、われわれは「自ら考える」という機会をより一層奪われることとなる。

われわれはわからないと思う間もなく、機械がおせっかいのごとく逐一情報を与えてくれるのである。「自己判断」という言葉は死語となり、与えられる・指示されるがままの世界がいづれ訪れるであろうし、この流れは誰にも止められない。


ケヴィンは今後50年間はAIの時代が続くと考え、現在はその黎明期にあたり、現在巨大な権力を握っているGAF(M)Aも、いずれその地位を追われることになるであろうと。市場原理からいくとそれは偶然ではなく、自然な摂理である。


なお、先に挙げたケヴィンのモットーのひとつ「テクノロジーに耳を傾ける」こと。これは、以下の著書が詳しいであろう。

その方法として、以下のように述べている。

発明者の意図とは違った使われ方をしている場面を見ることで、テクノロジーが持つ自然の方向性が幾分よく見えてくる

さらにケヴィンは、ユートピアではなく、「プロトピア」という言葉を用いて、これから先の未来を達見している。プロトピアとはプログレス(進歩)+トピア(場所)による造語であり、「今日より少しだけ良い状態を想像しよう」という思いに由来する。

これは、科学的な発展と同ベクトルであり、最先端の科学技術とは現在よりもより良いものを求めて日々研究がなされている。科学は始まったときからすでに、発展し続けるものであり、これから先もそうですあり続ける。科学が終焉を迎えるときは、人間がこの世から存在しなくなるときである。


タイトルにもある「5000日後」。これは音楽家のブライアン・イーノに触発されたもので、「これからの人生を年単位ではなく日数単位で考える発想法」に習っているそうだ。

これは、現在にすべきことの優先順位を明確にし、残りの限られた日数をいかに有意義に過ごし、今日という日をいい日にすることが目的としてある。

インターネットが一般普及しておおよそ5000日後に、SNSが生まれ、現在はSNSのサービスが開始された頃からおおよそ5000日が経過している。現在でいえば、流行り始めたのはNFTといったところであろうか。

ケヴィンは「これから起こるほとんどの変化は精神的なもの」であり、「これらの変化は目には見えない」と述べている。少しずつ変化していったものごとは、短期ではその変化量は微々たるものであったとしても、長期なスパンで考えると大きく変化したことがみてとれるようになる。


AI時代を迎えると、『「問いを考える」ことが人の仕事になる』とケヴィンは指摘している。これはまさにアートの本質そのものであり、MBAよりもMFAに近年着目されていることともつながる。

なにかの記事でみたのだが(ド忘れした。。)、今年の大学入試共通一次試験の際、スマホで撮影した問題をアップし、ネットで解答を聞くという問題が取り沙汰されていた。

現在ではこうした行為は犯罪となってはいるが、将来的に、たとえば脳内にチップを埋め込むなどをして、常にインターネットと接続状態にあったとき、これまでの記憶重視型のテストはもはや意味をなさなくなるであろう、というものであった。

確かに、調べて分かること(回答があるもの)については、検索すれば事足りる。もはや、検索で出てくるような問題を問うこと自体、ナンセンスなのかもしれない。となると、問われるべきはアイデアや発想力など、問題解決型の思考の方が、より重視されるように将来的にはなっていくのであろう。

こうした問題に対して、これから先に必要となるのが、アート思考的な発想と考えられているからこそ、MFAが注目されているのだろうと思う。

つまるところ、これまで気付きもしなかった問題に対して、新たな視点から提起し、解決へと導くことが重視されているからなのであろう。そのためにはまずアートを学び、それをビジネスで役立てる。間違いではないが、本質的ではないと私は思う。

新たな視点や発想によって、これまで気付きもしなかったことを気付かせてくれるツールとしてアートが存在し、アートによって豊かな思考が育まれることが、アートの根源にはあるはずである。それをどのように活かすかが問われている。

そのため、ビジネスなどのためにアートを学ぶのではなく、アートを学んだことによって、ビジネスや日常生活などに活かすことができる、という学びのベクトルの方が健康的なモチベーションのあり方であると思う。


5000日後、果たしてどのような世界へとなっているのであろうか。技術的には現在よりも便利になっているのは想像するに容易い。

本書もまた、将来起こり得る技術革新を予言しているものではない。過去から現在、そして未来へと続いて行く技術的な進歩について、こうなっていくのだろうな、というひとつの方向性を示しているに過ぎないのである。

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