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舞台上のカリスマ田原俊彦さんから配信ライブについて考えたこと

毎週のように音楽ライブへ行っていた日々から2020年は配信ライブを鑑賞する事が増えた。

これまでライブへ行ったことがないアーティストや今までライブを楽しんでいたバンドなど、様々なアーティストを観る中で多少違和感がでてきた。

「ライブ行った時はものすごく楽しかったのには配信だといまいちグッとこない。」

もちろん配信ライブも楽しいけど、リアルなライブの代わりには、、という気持ち。
(皆さん慣れない中で頑張って配信してくれてるのにほんと失礼な話ですみません)

はじめは音量とかバランスとか音の出力環境が家だとやっぱり違うよね。という感じでPCからスピーカーへ繋いだり、イヤホンへ飛ばしたり色々試したりもしたけども、やっぱり何か足りない。音圧?臨場感?

まあそんな感じでも気になるアーティストの配信ライブは見続けていた。

そんな中で田原俊彦さんの配信ライブが8月29日行われると知り、興味本位でチケットを購入した。

田原俊彦さんは親の歳に近いので子供の頃にテレビに出てたアイドルで、ヒット曲が多くて元ジャニーズくらいの情報しか無かったが、エンターテイメントをする人という印象があって、エンタメ好きとして本当に興味本位で覗いてみる感じだった。

田原俊彦さんの配信ライブを観た印象は、
最の高!!最高に楽しかった。
これだよね!という配信ライブの正解を初めて観た気がした。

そこで感じたのは、配信ライブって「テレビの生放送」じゃん。

田原俊彦さんはテレビの人なので、カメラワークのライブ使いがものすごく上手い、縦横無尽にカメラの前を駆けまわり、配信慣れしているような余裕感もある。途中「ガチョーン」なんて昭和ギャグでカメラマン対応できなくて困らせるみたいな。
(もちろん入念に準備されて完成度を高めているのは承知している。)

最後にセグウェイに乗って登場して歌い踊るサプライズもあったりして、初見の視聴者にも全く飽きさせることなくステージを終えた。

テレビの向こう側の不特定多数の視聴者へ向けたパフォーマンスを熟知していて、観ていてスッと馴染む感じがした。

そんな衝撃的な配信ライブを目の当たりにして、音楽ライブとエンタメって別物だっけ?という疑問が湧いてきた。そもそもライブって?

ここでまたもんやりとした気持ちがうまれた。

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幾つものこんなちょっとした疑問を日々考えながら生きているわけだけれど、この上記もんやりに関しては、一つ腹落ち感があったのでここに記録しておく。

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たまたま読んでいた「ポップ・ミュージック語る10の視点」(音楽をテーマにした各人セミナーを1冊の本にまとめたもの)の中の、南田勝也さんの2017年3月18日のセミナーの中にコレかなというものがあった。

ーー鑑賞からプレイ(遊び)へーー 視聴者の変化を指した変容観念。(引用)
コンサートの時代「共感」→フェスの時代「体感」
舞台上のカリスマ→一緒に躍動する先導者
音楽を聴くという経験が鑑賞よりもプレイ(共同体験/スポーツ)に接近している

本の中では60〜70年代ロックが90年代のグランジへ移行していく様子に沿って、ライブ観念の変容が書かれています。

だいぶ割愛して意味不になっていと思いますが、コロナ前までの自分のライブ観念が「プレイ/体感」だったんだな。と
会場で歌ったり叫んだり踊ってジャンプして、ライブでは一通り身体動かしていつもスッキリしてました本当にスポーツ「プレイ/体感」です。

そこからのコロナ禍における配信ライブは、完全に「鑑賞」に変わりました。叫ぶでも踊るでもなく、家で静かに舞台に注視し続ける行為です。
「プレイ/体感」で観ていたアーティストの配信ライブに違和感を覚え、初めてみる舞台上のカリスマに配信ライブの正解を感じたのはその為だったと思います。

昨年はこんな日常の観念の急激な変化が多くある年になりました。

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