めくるめく、私たち
東京オリンピック開会式の日、友だちの家へ遊びに行った。2人目の女の子が誕生したので、ニューボーンフォトを撮って欲しいと声をかけてもらったのだ。彼女の住む豊洲の高層マンションからは、オリンピック会場とウイルスで静かに沸き立つ街が見下ろせた。
それから一年とちょっと。ふたたび彼女の家を訪ねると、新しい小さな命が産まれ、あの時の小さな赤ちゃんは立派なお姉ちゃんになっていた。
子どもの成長はなんて早いんだろう。
この子の寝息を数えている間、私の時間は止まっていたのだろうか。自分の人生の主役は自分だと思いつつ、時間軸の主役が私たちから次の世代へ変わっていくのだと感じた。
親の腕の中で眠る子どもの安心しきった寝顔ほど愛しく尊いものはない。
まだ何も知らない無垢な柔らかい生きもの、これが本当に私と同じ人間なのだろうか。このむにむにのほっぺにご飯を詰めこんでいくうちに、いつのまにか大人という生きものになるのだなんて、にわかに信じがたい。
友だちに子どもが産まれると、いつも許されるような気持ちになる。
ちいさな手に指を握られて、ああ、もういつ死んでも大丈夫だと感じる。
私たちが守ってきたこの世界の愛しく尊いものぜんぶ、きっとこの子たちが見つけてくれる。コロナの闇の中で見た、人知れずうち寄せる海のように、くりかえし、くりかえし、めくるめく私たちの時間。
またひとつ、希望をみつけた。
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