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災害から考える、コミュニケーションの基本について

災害はいつも突然に


トンガにて大規模な火山噴火が起こった。


"大規模な噴火" と言われたとき、わたしが真っ先に思い出したのはポンペイだった。が、今回のトンガでの噴火は、それよりも強烈とのこと。有史における最大規模の噴火ということだが、巻き上がった噴煙によって衛星通信は遮断され、その火山がトンガへと繋がる海底ケーブルのごく近くにあったことでケーブルの切断に繋がり、現地の様子は衛星写真でしか確認できない。ともすると一種の魔法のようなもの、と空想めいた捉え方をしてしまいがちだった現代のテクノロジーと、それらが支えている情報化社会の、ごく即物的な面について改めて考え直さざるを得ない。

世界的なパンデミックが未だ収束に至らぬ間に、世界規模での影響が懸念される自然災害の発生。
2020年代は世界史の教科書にどう記されることになるんだろう。


災害時の対応から考える意思疎通の方法


情報化社会は災害・防災情報の高度な共有ももたらした。
災害発生後まもなく、爆風による気圧変化についての報道を見た。世界中を網羅する津波情報があらゆる方向から飛び込んできた。地質学における知見の集積は、過去何億年の噴火とその被害から、今回のものがどういった規模でどういうものにあたるのか、詳細な見地を提供してくれる。

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今回の噴火はVEI6相当


災害時における人の居住域への被害の予想と、その対処法は防災情報として世界中に蓄えられている。
その中で興味深いと感じたのが、「逃げろ」よりも「走れ」と指示を出す方が、より生存に寄与する場合がある、というもの。


緊急時には誰しもパニックに近い精神状態に至る。その中で、どうすればより的確な判断を下し周囲と情報のやり取りができるか。この点について考えた時、できるならばより具体的、かつ単純な命令・指示を用いたほうがいいのは間違いない。

英語で『逃げる』は "Run away" 、対して『走る』は "Run" 。二語文よりも、一単語での命令形のほうがよりシンプルだ。もともとはより手短に伝えろ、という教訓だったのかもしれない。

が、確かに「逃げろ」という言葉を指示に用いるとき「ある対象に一定以上の害をなすものの影響圏を脱するために自身による移動などの方法を用いて遠ざかる」というような、かなり複雑な意味合いを含んでしまう。なるほど、これでは指示の解釈に幅を生んでしまうし、情報の処理にかなり労力を必要とする。伝わりようがない。主体・客体・目標・動作の4つの定義を必要としてしまう。「害」や「影響圏」を表すための閾値を含めるなどすればさらに増える。

対して、「走れ」は単純な体の動作をあらわす言葉である。

災害時には群衆雪崩などの二次災害が起こることも当然懸念される。が、津波や交通事故などのとにかく迅速な対応が必要とされる状況において、こうした知識が生死を分かつ可能性については、日頃から検討しておく価値は十分にある。


ピンクの象を想像しないでください


教育現場や自己啓発本などでよく引用される、"ピンクの象を想像しないでください" というフレーズがある。
もし突然こう言われた時に、何をどう考えただろうか。

こういった指示をされると、たいていの人はむしろ、想像してはいけないはずの「ピンク色の象」を頭の中に思い浮かべてしまう。
「人間の脳は否定形を理解できない」「指示はより明確に」といった結論と併せてこのクオートは用いられる。「想像をする」を「しない」ように指示するわけだから、否定形での表現は2種類の動詞を含んでしまう。迂遠な表現だ。指示を正確に伝えるためには、表現をより精査した上で、個別的な形状に収めるべきである。

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ダンボのこのシーン、まじトラウマなンだよな


こうした教訓は、プログラミングにも通ずるコンセプトである。プログラミングにおけるバグ・エラーは、定義・指示における不明瞭さが作り出す。


わたしはプログラミングに明るいわけではないが、外国人や子供、聴覚障がい者など、音声言語でのコミュニケーションが難しい相手と接している時、こうしたことをよく考える。

「子供が苦手」だという人は、人間に対して年齢を基準とした差別感情を持っているわけではない。
「子供と接するのが苦手」、
「子供とどう接していいかわからない時に感じる焦燥や不安が苦手」

なのだ。そうした人たちのコミュニケーションのとり方を見ていると、意思疎通、情報や感情のやり取りをプライマルに据えるべきところを、コミュニケーションのフォーマットや適合性の調整に腐心していたりする。伝わりもしない礼儀や、周囲からどう見られているか、などの余計な部分に気を取られ過ぎなのだ

目上の人や初対面の人に対する自分なりの礼儀を貫くことはもちろん大事ではある。だが、それも「スムーズで過不足ない意思の疎通」という基盤があってこそ、はじめて成り立つものだ。

意思のやり取りが難しいと感じてしまう相手ほど明確かつ単純な発言を心がけるべきである。災害時にパニックに陥っている人には複雑な指示を与えてはいけない。


おわりに


ここまでくどくど書いたのは、わたし自身こそがその「パニックに陥る人」だからだ。ちょっとした地震でも完全にパニクって、後先のことを何も考えずただそこに居座って静かに号泣する。噴火まじこわい。日頃から精神的に備えておかなければならない。


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