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「私は不完全だ」という幻〜頑張らない私には価値がない?

「何をしてもしなくても存在するだけで価値がある」なんて、私は考えたこともありませんでした。

43歳で大きな壁にぶつかって学び始めるまで、「頑張らない私には価値がない」としか思えなかったからです。

「自分には価値がない」という私の思いこみは、「私は不完全だ」という信念(ブリーフ)からきていました。

自分には足りないところがある。
むしろ、足りないところだらけだ。
だから、それを埋めるように努力しなければ!
努力を続けなければ、私には価値がない。

新しい世界を知れるのが楽しかった勉強が、いつのまにか「満点=欠けていない」ことを証明する手段になっていました。

学校で一番の成績をとりたいわけではないんです。

どんなに頑張っても全科目満点をとることができないなか、『一番』と知られるのは居心地が悪くて仕方がない。

むしろ、「あなたが一番でしょ?」と訊かれたりしたら、答えに困ってします。
「私じゃないよ」と答えられるほうが、安堵する。

ずいぶんとこじらせていた中学時代。

高校入学後は成績が落ち、『頑張ってもできない私』に直面する日々を送ります。

『頑張る=いい成績をとる』という謎の信念(ブリーフ)を手放せず、私の自己肯定感は底辺をはっていました。

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いまの私は知っています。

『誰もが存在するだけで価値がある』ということを。

ですが、『私は不完全だ』という強烈な信念(ブリーフ)があると、とてもそうは思えないんですよね。

・足りないところを埋めようと、私は頑張り続けている
・こんなにも頑張っているのに、うまくいかなくて苦しい
・頑張らずにうまくいっている人がいるのはずるい、ゆるせない
・あの人は努力が足りない、もっと頑張るべきだ

自分に厳しい目を向けてダメ出しをするだけなく、人のことも批判していることに気づいていませんでした。

「私ばかりがしんどい目に遭う」
他の誰かを加害者に仕立てあげ、自分は被害者=悲劇のヒロインきどり。

なんとも不自由な世界を生きていたものです。

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そんな私が描けるようになったゴールが、『誰もが自分の才能全開で生きられる世界』

誰もがもっている独自の才能(天才性)を互いに存分に発揮して、みんなで幸せになっていく世界をつくっていきたい。

「不完全な自分」という認識は、幻想でしかない。
社会・世間の基準なんて、気にしなくていい。
誰と比べなくていい。

あなたはあなたでいるだけで価値がある!


誰かと優劣をつけるために頑張る必要なんてない。
 have to(ねばならない)と思うことは、すべて手放していい。

want toで楽しみながら、『自分の本当のゴール』に向かって歩み続けていけばいい。

いまの私は、そんなふうに考えています。

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とはいえ。

「存在しているだけで価値がある」
と言われても、どんな価値があるというのだろう?

ただ生きているだけの自分を認めるのが難しいこともあるかと思います。
(私自身がそうでした)

そんなときは、『独自の才能(天才性)を発掘するワーク』がお役に立てるかもしれません。

ちなみに、『独自の才能(天才性)』は、『欠落感』から育まれるものであり、『欠落感』は、『人生で最も大切に思っていること(最高の価値観)』と表裏一体のものだったりします。

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あなたがあなたの才能全開で人生を楽しむお手伝いができることが、私の喜びです♪


〈私が私である〉ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏

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