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「大人は嘘つきだ!」〜交通事故から得られた才能

私は小学校4年生のときに、自動車にぶつかったことがあります。

乗っていた自転車ごと横転、車の運転者とのやりとりに
「大人は嘘つきだ!」
と怒りを感じた私は、ある才能を身につけました。

今日はそんなお話です。

事故の瞬間

私が事故に遭ったのは、図書館へと向かう住宅地の細い道路。

一時停止をせずに四つ角に入った瞬間、

「あ!」

自動車がスローモーションで近づいてくるのが、モノクロ映像で見えました。

「ああー!」

次の瞬間には自転車ごと道路に横転していました。

運転者からの質問に反射的に答えてしまう

かけ寄ってきた運転者が、私に声をかけます。

「大丈夫?!」

そう問われると反射的に

「だ、大丈夫……です」
と答えてしまう私でした。

「よかった、大丈夫だね」

そう言いながら、男性は自転車を起こして私に渡そうとします。

動揺していた私は、自転車のハンドルを素直に受け取ったのでしょう。

そそくさと自動車に乗りこんで走り去る男性を、呆然と見送りました。

事故に遭った私が決心したこと


ペダルを踏みこんだ瞬間、私は正気に戻ります。

自転車がぐにゃりと曲がっていて、真っ直ぐに走れない!!

「大丈夫」なんかじゃないじゃない!
自転車が壊れていることに、あのおじさんが気づかなかったはずはない。
それなのに、「よかった、大丈夫だね」だなんて!
大人のくせに、なんてずるいことをするの!?

〔自分が四つ角につっこんだことを棚に上げて……〕
と今なら思いますが、当時は怒りしかありませんでした。

そして、こう考えたんです。

「子どもにはわからない」と思った大人は、平気で嘘をつくんだ。
二度と言いくるめられたくない。


それ以来、私は大人(たいていは身近にいる学校や塾の先生)が話すことに敏感になりました。

「先生が言うことはいつも正しい」
と信じていた、優等生然とした私が、
「先生が言っていることは本当なの?」
と疑うようになったのです。

事故の経験から、
「大人に言いくるめられてはならない。
あなどられてはならない」
と意識するようになったなんて、もちろん、当時は自覚していません。

振り返ってみて初めて言語化できたことです。

怒りの感情の源泉


そして、気づきました。

私の怒りの感情の源泉が
「フェアじゃない!」
という不平等感にあったことに。

「どうせ子どもにはわからない」
と大人(特に男性)が、子どもをあなどることが許せなかったんです。

だから、私は勉強しました。

いろんなことを知っていれば
「そんなの、おかしい」
と大人に反論できると思ったんです。

「大人とフェアであるためには知識が必要だ」
と考えた私が、
「もっと勉強したいから、"塾" ってところに行ってみたい!」
と親に頼んだのも、自然な流れだったのでしょう。

そしてもうひとつ。

近づいてくる自動車がスローモーションで見えたことは、
「どうしてこうなるの?どういう仕組み?」
といった好奇心を私にもたらしました。

当て逃げ犯は私の恩人?


こうしてみると、当て逃げしたおじさんは、知識欲&好奇心という点で〈私の恩人〉でもあるわけです、笑。

ホント、人生は何があるかわかりません。

「許せない!」
と思った出来事にも、ちゃーんと恩恵があるんですよね。

「言いくるめられたくない」
という思いからの
「もっと知りたい!わかるようになりたい」
という私の欲求、学びに対する姿勢(好奇心・集中力・継続力)は、今でも変わらないのですから。

当て逃げしてくれたおじさんに感謝です。


*あとがき*
自動車にぶつかったのが自転車の前輪だけだったおかげで、私は打撲とかすり傷ですみました。
丈夫な身体に育ててくれた両親にも感謝です。



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