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ドイツ人はどうして「お洒落」なのか?

(この記事は2020年3月4日に執筆したものです。)

「古着買い行こうよ」

会ったばかりのドイツ人は僕にそう持ち掛ける。

留学して1週間も経たない僕は古着屋に行きたくてうずうずしていたから、この誘いに乗らない手は無かった。

若者の街 Hackescher Marktに降り立った僕は仰天した。街ゆくドイツ人のこしらえた服たちはオーセンティックでソフィスティケートされていた。


日本の渋谷や下北沢、高円寺にいる人々も確かに「オシャレ」ではあるが、ドイツ人の服の組み立て方はどこか違う雰囲気を持ち合わせていた。彼らは「お洒落」だった。


それから何か月も経った。なぜ今、僕はこの記事を執筆するのか。

僕は観察していた。考えていた。

彼らが日本人と違う理由。

「オシャレ」ではなく「お洒落」である理由。


ドイツ人の根底にある「洒落感」

思うに彼らの「お洒落」は以下のエレメントから構成されている。

レイヤードとシルエットの精密さ
小物使いの巧みさ
無二の統一感

①レイヤードとシルエット

まずはこちらのドイツ人のコーディネートを見て欲しい。

諸君は彼のスタイルを見て、他の所謂「ファッション好きのオシャレさん」と違うところはどこだと思うか?

僕の答えは「素材差異を活かしたレイヤード」「抜群のサイズ感」だ。


太すぎないパンツに、トレンドのオーバーサイズボンバージャケット、それらを白のバケットハットで綺麗にまとめあげる。

外側から、恐らくスエードかサテンのボンバージャケット。それに落差をつけるようなダウンベスト。ちらりと見えるレザーバッグも印象的だ。さらに内側のピンクのポロシャツは冬の退屈さを忘れさせる。最後には白のタートルネックで首元を飾る。若干緩めのデザインが「固め過ぎないレイヤード」を形成している。

夏のイメージがあるバケットハットは冬らしく厚めのキャンバス地を用いて、コーディネートに重さをもたらす。


タイト感や着ぶくれの印象を持たせないそのシルエットは、実は引き算のレイヤードがもたらしている。

レイヤードは初心者でも手を出しやすい反面、往々にして「野暮ったさ」や「ごちゃごちゃ感」を目立たせることがある。

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例えばこの極めて「日本のオシャレ」ぽいレイヤードコーデ。

MA-1にトレンドのショート丈。白のフーディーとその下から伸びるインナーシャツ。極太パンツにベルト垂らし。

単純に言って「やりすぎ」

オシャレと言われるものを全て足してみただけで、かえってシルエットが最悪。(しかも、恐らくMA-1を脱いだら、縦に伸びた「ひょろ人間」が現れそう。)

素材に関しても、なぜかテカリ過ぎのMA-1と、立体感ゼロのフーディー。「それただの下着が出ちゃっただけだろ」みたいなインナー。


そんなレイヤードをコントロールするのに必要なのが「シルエット形成」と「素材」だ。

他の人のスタイリングを見てみよう。

単純同系色でまとめたコーデだが、シルエットは生地を贅沢に使ったおかげで動きが出ている。

アウターのフリース地に引っ張られて全体が、「暖炉の前で読書するイギリスの田舎のおばあちゃん」にならないように、イッセイミヤケのポリエステル100%の光沢あるプリーツパンツがモダンな印象を与える。


どのシーズンにもトレンドの素材やシルエットが存在する。しかし、それを全てのアイテムに落とし込めば途端に「野暮ったさ」を生み出してしまうのだ。


もう一度言おう。

レイヤードは引き算であり、情報過多にならないようシルエット形成と素材使いによってそれをコントロールするのだ。

ドイツ人はこれがすこぶる上手い。


②小物使い

ドイツ人は細部に至るまでとにかく抜け目がない。

例えばこの人の小物使いは目を見張る。

サングラス、ピアス、ネックレス、バッグ、指輪から成る小物達はスタイリングを一つ上のレベルに引き上げている。

サングラスの柄に輝くゴールドが高級感を持たせ、鍵モチーフのピアスが心地よいエッセンスを足している。

首元のネックレスは厚めのニットの上で絶妙に配置されることで、かえってニット自体の存在感を際立たせる。もちろんコインモチーフや安全ピンモチーフで遊び心も忘れていない。

指輪たちはごつすぎるくらいが丁度良く、彼が文字通り「指先までコーディネートを完成させている」ことを知らせてくれる。

トレンドのフェミニンな小さめバッグはギラギラに主張するシルバーアクセサリーたちを相殺する。


ブラックのセットアップにニットという単純なスタイルは小物によってはじめて一段と輝くのだ。


③統一感

また、ドイツの「お洒落」たちは統一感を出すことに全く躊躇が無い。

例えば手前の彼女。

スケーターボーイとしてのスタイルは有無を言わせず統一感を醸し出す。

それでいて彼女の驚異的なところは、ただの「コスプレ」に終わらせないことだ。

ゴールドのピアスや蛍光のネイル、リングがむしろ彼女のスタイリングとしてのバランスを取っている。

決して泥臭くさせない。それが彼女のファッションセンスであり、統一感の出し方なのだろう。

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こちらの女性はストリートスタイルで統一感を出す。

光沢のあるパンツにスウェット、そこにハイヒールではなくブーツを合わせるところがカッコ良い。

もちろんミニバッグとストラップ付iPhoneもトレンドを意識するインフルエンサーとして外せないものだ。

あくまで実用的なそのスタイルは本来のストリートカルチャーを体現しているようである。


なぜドイツ人は「洒落感」を身に着けられるのか?

さあ、ここから更に彼らの「洒落感」を深掘りしてみよう。

どうしてドイツ人たちは、日本の「オシャレさん」たちが意識しない要素を持っているのか?a.k.a.どのように「お洒落」を決定づけるセンスを得たのか?だ。

【付け焼き刃ではないファッションセンス】

日本人は中学校~高校とアイデンティティの確立期間を「制服」というモノカルチャーの枠組みで過ごすことを強いられる。

制服で授業を受け、放課後遊びに行くのも制服。休日はジャージで部活動。張り切ってタウンでハングアウトする時はGUやユニクロ。そんな学生が大半だろう。

大学生になって着る洋服が無い。なんとなく雑誌を買ってみて、真似してみる。今の時代Instagramのインフルエンサーを真似する人も多いだろう。


つまり彼らは、ファッションをカルチャーの枠組みで捉えることをしてこないのだ。


一方ドイツの学校に制服はない。彼らは幼少期から自分の着る服を自分で決める権利がある。

もちろん思春期に入れば、ちょっとおしゃれなヤツが出てくる。そんなヤツとつるんでみると古着文化に出会ったりする。

高校生になればクラブにも行き始めるだろう。クラブは高校生にとって「大人へのイニシエーション」だ。年上のお兄さんお姉さんに囲まれ、ファッションを意識しないことはない。

特にベルリンにおいては、テクノクラブはコンテンポラリーカルチャーの大部分を占めると言っても過言ではない。さらに、多数の有名無名アーティストによるギャラリー・インスタレーション・パフォーマンスが活発なことも明記しておきたい。


つまり、ドイツ人はアイデンティティの確立期間に多くの文化的活動に触れ、互いに刺激し合いながら、センスを鍛えていくのだ。

この付け焼刃ではないセンスは、トレンドが駿馬のように移り変わるファッションにおいて極めて有効である。

なぜなら、何が「良く」て何が「悪い」か、何が「お洒落」で何が「ダサい」かのファウンダメンタルな判断基盤を持っていることを意味するからだ。


【ドイツの有利な立地】

実はドイツの立地も関係していたりする。

ドイツの左隣の国は?

そう、フランスだ。

フランスと言えば?

そう、パリだ。

パリと言えば?

そう、ファッションだ。


このいかにも単純すぎる要因も実は深く関わっていたりする。

ベルリンとパリは飛行機で2時間。それは人、モノ、そして情報伝達の速さと正確さも意味する。(ベルリンとパリに時差は存在しない。つまり、例えばホットなニュースはアツいうちにベルリナー達の耳に届くのだ。)

もちろんパリ発のアイテムはすぐにドイツにもたらされる。EU内だから面倒な税関手続きもナシだ。


日本のファッショントレンドは極めて局地的だと感じる。それは日本が島国だからであり、お隣韓国とも若干違う独自ファッションを加速させる傾向にある。

そしてそれが、どうにもパリやミラノ、ロンドン、NYといったランウェイ発のトレンドとはかけ離れている時があるのだ。

否、かけ離れているというより、違った解釈や重要な要素を削ぎ落した形で輸入されることがある。


数年前からブームのビッグシルエットも先ほど述べた通り、シルエットや素材など細部に拘って初めて「お洒落」になるのであるが、どうもここ最近の大学生のコーディネートなんかをぼーっと見ていると、とにかくでかめのスウェットドーーン、ぶっといパンツドーーンで「うす、自分オシャレしてます!」みたいな奴が多い。


そうじゃない。そうじゃないんだよだから。


つまり僕が言いたいのは、物理的な距離が実は情報の正確性みたいなものを歪めてしまうことがあるということ。それがファッションにおいては顕著。


まとめ

ということで、くそ真面目に「ドイツ人はどうしてお洒落なのか?」を考察してみた。

お洒落の語源は「洒れ」または「戯れ」、つまり「戯れる」=「機転が利く」ということであり、転じて「垢ぬけている」という意味になったそう。


ファッションが好きな身として、ベルリンに居られて僕はとてつもなく幸福なのだろうけど、こうして折り畳み式の鉄板をタイピングしている今もその実感は全くといって無い。

なんなら最近は家に籠りがちだ。

だから僕は「戯れ馬鹿」のドイツ人に勝てないのかもしれない。

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