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突然ですが私は「社会を知るたびにクマムシになりたくなる世界線」に生きています

クマムシ。

「あったかいんだから〜」の方じゃなくて、理科の実験に出てくる方です。


人生で「クマムシ」について考える瞬間は多くの人にとって高校の生物基礎くらいで、「キモイ〜」とか「ちっちゃくて可愛い〜」とか言ってくれれば良い方。ほとんどは教科書の写真に閉じ込められた彼らを一瞥するくらいだと思います。


でも私は何故かここ一年くらいずっとクマムシについて考えています。

別に私は生物学者でもなければ、理系の人間でもありません。かと言って、クマムシを可愛い”コンテンツ”として消費しているわけでもありません。


ただ、私はひとえに、クマムシになりたいのです。

あのずんぐりむっくりの小さな生物になったら、どれだけ幸せだろうな、と思うのです。



クマムシとは

クマムシ、クマムシ言ってますが、クマムシって何なんだよ!というクマムシ初心者、ビギナー・オブ・クマムシのあなたのために、まずはクマムシについて話します。

(ちなみに私がなぜこんなにクマムシに詳しいかと言うと、以前スペキュラティブデザインの授業でクマムシに関するレポートを書いたからです。)

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引用元:https://www.eyeofscience.de/

「クマムシ」という名前こそ定着していますが、正式名称は「緩歩動物(かんぽどうぶつ)」です。

ゆるく歩く動物。

そう。クマムシは正式名称から可愛いんです。大雑把にくくれば、「ゆるキャラ」と同じカテゴリーにいると思います。多分。


緩歩動物は、簡単に言うと節足動物の仲間です。昆虫やカニ、ムカデなんかと同じグループにいます。

肉眼ではほとんど見えないですが、至る所に生息しています。有機物を摂取して生活しているので、あなたの皮膚の上にもいるかもしれません。



ところで最近、こんなニュースがありました。

雪の上にいたくらいで研究者びっくり?と思うかもしれませんが、クマムシは雪の上どころか、超高温から超低温環境まで、また深海や、宇宙空間高放射線環境でさえ生息出来るのです。

これが、クマムシが地球上で最強の動物と言われるゆえんです。


さらに、ここで終わらないのがクマムシのポテンシャルの高さです。

慶応義塾大学でBioinformatics(生物情報科学)を研究する荒川和晴教授は2018年の研究で、クマムシは極度の乾燥地帯では自身を仮死状態に移行させ(乾眠)、また水分を得ると蘇生するということを発見しました。

つまり、死んでも生き返るのです。

ここでは「仮死状態」と表記していますが、乾眠中は一切の生命活動が停止しています。ですので、モノと同じ状態です。しかし、水を得ると文字通り生き返る。この発見は死の概念さえ揺るがすものとして話題になりました。


もっと詳しく知りたい方は、バイリンガルニュースEpisode417(2020年6月18日)をポッドキャストで聴いてみてください。




社会学を学ぶ学生として

ここからはクマムシを一度わきへ置いておいて、私の大学生活の話を少ししたいと思います。


私は現在、早稲田大学文学部で社会学を学んでいます。少々ややこしいですが、文学は学んでいません。

主に「共生社会学」と呼ばれるものが私の研究領域で、共生社会を実現するための学問と言っても良いかもしれません。

もちろん共生社会は多様な人々の共存を意味しますから、研究では在日外国人や、性的マイノリティ、障害者などの社会的弱者を扱うことが多いです。社会的に虐げられている人々が社会に包括される状態(インクルーシブ・ソサイエティ)を目指しているわけです。

また、共存は人同士の共存だけではありません。地球環境との共存もその範囲内です。

ということで、私は実際にはジェンダースタディーズや、サステナビリティ学人権教育と言った幅広いものを学んでいます。


そうなると、私の学問上の目的は「間違ったものを正す」ということにあります。

地球環境が破壊されていること。
人々が抑圧されていること。

そういった「間違ったこと」を正す、というのが私が取り組んでいることの本質にはあります。つまり、「マイナスをプラスには変えなくてもゼロに近づける」という作業を行っているということです。



ところで当たり前ですが、私の研究の全てはマイナスを見つけることから始まります

例えば、フェミニズム研究に際しては、「女性」がどれほど社会的に抑圧されているのか、問題の深刻さはいかほどのものなのかをとことん探すわけです。

(これを言うと「女性に下駄をはかせるのか!」と、ありがちなフェミ批判を受けそうですが、むしろ男性が当たり前に履いてきた下駄を脱がせるのがフェミニズムです。プリヴィレッジ=特権という言葉がキーですよ。)


そして、ほとんどのケースで問題は計り知れないほど深刻です。環境問題にしても、性的マイノリティにしても、技能実習生にしても、知れば知るほど黒い泥が限りなく出てきます。

この、そこはかとなく黒い泥沼。掘り返して中身を掻きだしても、終わりが見えないのです。

さらにこの泥は皮膚につくと、なかなか落ちません。必死になって一生懸命搔きだしていると、気づけば体中が落ちない泥で覆われているのです。

ここに今回の問題の所在があります。




いっそのこと仮死状態になりたい

この泥が恐ろしいのは、皮膚を貫通して精神にまで支障をきたすことです。

つまり、私の行う研究=マイナスを見つける作業は、いつでも絶望へ手招きしているのです。

どうしようもない悲惨さ。
取り返しのつかない破壊。
救いようのない社会。

そういったことに否が応でも向き合わなければいけない。共生社会学の辛さはそこにあります。


そして、私はたまにどうしようもなくそれを抱え込んでしまいます。冗談抜きで、この世界には希望がない、と思ってしまいます。

希望のない社会で生きなければいけない辛さ。それでも社会問題を解決しなければいけないという使命感。どれだけ心痛めても変わらない社会の非情さ。

そういったものを全て背負わなければいけないのです。どこに救いがありましょう。




そう。クマムシです。

帰ってきましたね。


こういった時、私は「クマムシになりたい」と思います。

社会の暗い部分を知れば知るほど、クマムシになって仮死状態に移行して、全て片付いたら水をもらって生き返りたい、そう思うのです。


ただ別に私は本気で、クマムシのDNAを注射して乾眠に入ろうとは思っていません。でも、それでも、それがどんなに馬鹿らしく聞こえても、「私はクマムシになりたい」と言わざるを得ないほど、この社会は私にとって逃げたい、過酷な環境なのです。

私が、否、私たちが生きているのは、そういう社会のある世界線です。



結局、このコラムは何かを訴えたいわけではありません。

でもこの苦しみをせめて世の中に放出したかった、それだけです。


突然、負のエネルギーばかり与えてしまったことに申し訳なさを感じたので、最後に可愛いクマムシちゃんの画像を残しておきます。では。

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引用元:https://kohacu.com/20190322post-24736/

<参考文献>

Keio University, 2018, “Tardigrade genomes explain life on the extremes,” Keio Research Highlights, Keio university, (Retrieved March 18, 2021, https://research-highlights.keio.ac.jp/2018/01/a.html)

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