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科学と宗教は対立するのか?

19世紀の哲学者ニーチェが言った「神は死んだ」という言葉は有名だろう。科学の発展により合理主義の風潮が広まり、神はもうすでに信ずるに値しないものとなったことを宣言した言葉である。現在でも宗教は存在し、信仰されているとはいえ、昔のようにすべての事象の背景に神の存在を考えるということはなくなった。科学が宗教の信仰を衰退させたというのは否定しがたいところであるように思う。それまでに宗教という大きな存在が科学者を弾圧していたという数々の事実も相まって、「科学」と「宗教」というのは常に対立した存在のように考えられている。

しかし、科学の最先端を走る科学者の中にも神を信じるいわゆる有神論者の人が多くいることが知られている。ここで科学と宗教の単純な二項対立に疑問が生じるだろう。科学者は神を信じるのか?科学と宗教は対立するのか?筆者の専門ということもあって様々な物理学者の意見を引用しつつこれらの疑問を考えていきたいと思う。

まず有神論者の意見を見ていこう。最先端の科学者の多くはこの世界の美しすぎる構造を覗くことがある。世界は人智を超えた奇跡的なバランスの上に成り立っているということを知るのだ。このような考えのもとに彼らは「この世界を設計したもの」、つまり神の存在を思い知ることとなる。このような思考で神の存在を示唆することはすでに行われており、この世界に「知性ある設計者」が存在すると主張するインテリジェントデザイン理論(ID理論)と呼ばれるものである。これがしばしばダーウィンの進化論と批判するものとして使われているのは置いておいて、この理論は科学者が神を信じるかという疑問を考えるうえで大きな意味を持つだろう。

また、物理学の祖と呼ばれ、信心深く神を信じていたニュートンは「実体そのものの解明は全能の神にゆだねて、人間は現象の解明に全力を尽くすべきである」と言った。我々は現象の仕組みを理解することができてもその現象がなぜ存在するのかという実体の部分には言及することができない。物理法則の実体を説明するためには神を持ち出すしかないということだ。物理学は結果的には神を否定する形になったが、当時のニュートンは神の栄光を賛美するために科学を進歩させたという話も残っている。

また、かの有名なアインシュタインも有神論者であった。「神はサイコロを振らない」というのは有名な言葉であるが、これは世界には創造主が存在するのだから確率的に事象が起こるのはありえないとして量子力学を批判する言葉であった。彼もまた神の存在を前提としているのだ。さらにアインシュタインは「無神論を熱狂的に支持することは神を絶対的に信じる宗教の態度と同じものだ」と言って当時の無神論者を批判している。

次に無神論者の意見を見ていこう。もちろん彼らは科学の発展によっていずれすべてのことが科学で説明できるようになると信じているのだ。かつて世界についての大きな問いに対しては宗教を使って答えを与えてきたが今ではもう科学が答えを出しうるという主張をしている。

神が存在するかという議論において常に議題として挙がってくるのが「ビックバンはなぜ起こったのか」ということである。かつて我々は宇宙の始まりを説明することは不可能であり、神が宇宙を創造したというのが一般的な考え方であった。しかし、イギリスの物理学者スティーブン・ホーキングはこの考えに対する明確な反論を唱えた。ホーキングが生前最後に残した著書「大いなる問いへの簡潔な答え(BRIEF ANSWERS TO THE BIG QUESTIONS)」の中で彼は、宇宙には負のエネルギーが存在し、宇宙のエネルギーの総和はあるので、無から有を生み出す神の存在は必要としないと述べている。つまり宇宙は無から創造しうるのだ。これをもって彼は明確に神の存在を否定している。

このように科学者の中にはどちらの立場の者も存在し、その両者がある程度説得力のある意見を持っていること分かる。将来的にさらに科学が発展すれば無神論者の科学者が増えるだろう。しかし、科学者がこの世界の神秘に触れ続ける限りは一定数の有神論者も存在し続けるのではないだろうか。では最後に科学と宗教の単純な二項対立ではなくもっと俯瞰的な視点から見た考えを紹介しておこう。

ユダヤ人哲学者のスピノザは「神は存在するすべてに浸透しており、この世界は神の一部である」といった汎神論と呼ばれる考えを提唱した。これは神は何らかの設計者を指すのではなくこの世界の存在こそが神であると捉えなおす考え方である。科学と宗教の対立において持ち出されたものではないがこの考え方ならそれらが両立しうるように思う。

また、さらに興味深い引用がある。歴史学者ユヴァルノアハラリはこう述べる。「ビック・データのアルゴリズムが決めた決定に対して信頼することが21世紀の支配的なイデオロギーとなるだろう。ちょうど昔の神々のように、人々は全能なアルゴリズムとデータ主義が決めたことを信仰するようになる。彼らは人間より迅速に正確に決定できるからだ。」ここで彼が言っているのは宗教も科学による合理主義も本質的には同じものであるということである。科学には観測できない現象について考えることができないという限界が存在する時点で我々は科学を信仰している面があることを否定できない。我々は科学の発展によって神に対する信仰から科学に対する信仰に変えただけであるというのが彼の主張だ。実際に科学で説明できないような超常現象に人類が面した時、また宗教が隆盛するかまたはさらなる信仰が登場するだろう。

ここまで様々な意見を見てきたが、科学者が神を信じうるという事実も含めて宗教と科学は対立するものではないように思える。単純な二項対立ではなくさらに高次の考え方、つまり宗教も科学も信仰の一種であり我々は信仰の対象を変えただけなのだという考え方が最も本質をついているだろう。今はまだ科学が世界の基盤となっているがこの状態がずっと続いていくのか、はたまたどこかで信仰の転換期が来るのだろうか。

ここまで読んでくれてありがとう。この記事を読んで読者が宗教と科学の関係性について新たな視点を持つことができたと感じてくれたなら嬉しく思う。