![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88595970/rectangle_large_type_2_045f7156bbd40be4b2f2dd109cf5e7d9.png?width=1200)
\ぎゅっと/【自己紹介♡その②】ワンオペと仕事と趣味と
保育園が見つかった!
東京砂漠で、しかも年度末も見える時期に
普通に保育園に預けるのはほぼ無理。
ふとした時、
2週間前に開設された無認可保育園があることを知り、慌てて電話をする。
「うちでみられますよ。」
息子を連れて慌てて、園を訪問、面談etc.。
ちょっと素人な感じの先生が対応してくださり、
本当に大丈夫なのだろうか💦などと思いながら
預け先が決まった瞬間だった。
約束通り復帰できちゃう。
復帰できないという選択肢はなかったので、
会社にはそのまま、予定通り復帰できますー、と返事をしたような・・・。
この時、育休延長制度とか、、、なかったのかな😔
慣らし保育の何日かを使って、
すっかり体型が変わったのでスーツやら靴やらを買いに行ったのかな。
その一週間は、子供と離れるのも不安で
会社に戻るのもドキドキで、
慌てふためいていたからかあんまり記憶にないな。
何してたんだろう、私(笑)
誕生日の日から出勤なんて
息子が誕生日の日に職場復帰し、
あらためて日本社会の非情を知る。
1歳の誕生日ぐらい見届けられる制度にならんのかな。
なので、パパもいる日に誕生日前祝い。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88356870/picture_pc_e17dab5511c768b6ce0e2255160ff145.png?width=1200)
久しぶりの出勤の日、子供と離れる寂しさもありつつ、
帰ってからどうやって誕生日祝いをしてあげようか、
元気にやってるかな、とか
とにかく生活が心配だったことは覚えてる。
仕事で何したのかは一個も覚えてないけどね。
時短制度は、この会社の辞書にはない。
復帰前は外勤職。
そして、フルタイムで復帰した。
なぜって、
「時短を取るなら外勤には出せない」
と、当時の偉い人に言われた。
内心、
「は?」
と思ったよ。
これって、訴えたら勝てるやつなのかな?
そう思いながら
「そういうことならやってやろうじゃないの。」
と、ほとんど意地だった。
どうやったら仕事が早く終われるかを考え
いかに時間をかけずに仕事するかを
追求していくスタイルになっていく。
残業してたらお迎えには間に合わないので、
就業時間終了と共に会社を飛び出る生活。
どうやったら最短の時間で外勤先から帰れるのか考えつつ。
これ、全社員がやったら、効率上がるのにな。
主人は残業たくさんできていいな。
そんなことを思いながら働いていた時期。
一緒に仕事ができるひとの存在
書いていて、ぶわっと当時のことを思い出した。
一つ、救いだったこと。
この時期は外勤にサブ担当をつけてもらえていた!!
教育係、兼ではあったけど、ペアで仕事ができた時期だったから
どうしても・・・の時は分担させてもらえたのが
仕事が続けられた理由だったかも・・・。
一人だけで頑張っていたわけではない。
本当に、助けてくれる「ひと」に恵まれていたから
きっとこの時は続けられていたんだな。
家事も、仕事も、
理解してくれるひとが一人いるだけで
状況はだいぶ違うよね。
![](https://assets.st-note.com/img/1665280593782-kndUv4cIZo.png?width=1200)
転職を思い立つ
職場も預かり時間を考えると、
朝早い上に夜が遅く、お迎えも時間ギリギリ。
いつもPCを持ち歩くので荷物も重い。
さらに、スーツとヒールでダッシュする生活に疲れ切った。
当時、少し経験年数も積み、
通常業務に重ねて、新人教育担当も行い、
役割を終えた感があった。
もう、ここで頑張るのは、いいや。
そう、心から思えてしまったので
別の会社を選択することにした。
大きくは生活もやることも変わらないのだけど、
若干時間に融通があり、
育児にも理解がある人がいる製薬関連企業に転職。
慌ただしいながらも、時間のコントロールが自分でできた。
誰よりも多いデータを扱う必要があったので
エクセルの鬼と化した。
他の人と同じ量を同じやり方でやったら終わらない。
どうやったら無駄な作業をせずに
他の人と同じだけ仕事ができるか突き詰めた。
![](https://assets.st-note.com/img/1665280382180-FeEng3Yfvz.png?width=1200)
「効率良く処理すること」、
「人為的なミスを減らすために必要なこと」、
について、ここで深く考えた経験が
その後の自分の武器になっていったと思う。
東日本大震災
主人が関西に単身赴任中。
私は出張帰りで被災。
中央線の電車の中に閉じ込められる。
大きな地震のせいで外で木がビリビリ揺れていた。
隣の人と、大きな地震ですね・・・と会話したのだけ覚えている。
そこから、大事な書類を持っていたので
一旦帰社し、携帯が使えなかったので、会社の電話から
息子の保育園に電話して無事を確認。
実家にも電話して無事であることを伝えた。
ただ、主人と連絡が取れない。
テレビを見ている訳ではないので、惨状もわからない。
待てど暮せど電車も動かない。
これはまずい!
4時間ほどかけて、徒歩で息子を迎えに向かった。
だんだん日が暮れてくる。
保育園に着いたのは夜の10:30。
![](https://assets.st-note.com/img/1665280890609-tGOPHAbCSh.png?width=1200)
不安な気持ちの息子と、二人で家に帰った。
会えてよかった。
帰ってこられてよかった!
帰って初めてテレビを見て、惨状を知る。
お風呂でも揺れる、警報音が鳴る。
原子炉はひどいことになる。
津波の映像が何度も流れる。
涙が止まらなくなる。
メンタルはそこそこ強め(鈍い?)私でも
涙が止まらなくなる時があったので、
相当なストレスだったのだと思う。
親子で震えた日々が思い出された。
(でも、息子に聞いても、
保育園で布団で横になりながら待ってたことと
警報音で机の下に隠れたことしか覚えてないんだって。)
事業継続に社会的使命があるからと
単身赴任中の主人は頼れないから自分しか迎えにいけないのに、
何かあったらどうしよう・・・。
会社では出社を求められる。
ちょっとした余震でまた電車が止まったら。。。
かなり毎日ピリピリしながら過ごした。
運動靴も会社に置くようにした。
そして、
パンを焼けなくなった。
<その③へ続く>
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?