普通を普通と思わないこと。
木曜日。先輩と残業中「毎日残業して私たち社畜ですね〜」というたわいもない会話から、YouTuberの話になった。
最近先輩は社畜YouTuberの動画を見たらしい。「1日のスケジュールとか社畜の様子とか配信しててさあ、それ見てたらまだ私はここまでじゃないなと思ったよ」と一言。
それに対して私は「社畜だけどYouTube出来るくらいなら、その人もまだ大丈夫ですよ」そう笑って返した。
すると先輩は、軽い口調でこう言った。
「いや、分かんないよ。その人はそうしないと生きられないのかもしんないよ」
そのとき私はハッとさせられた。しまった、とも思った。
たしかに、社畜の人がYouTubeをあげているからといってその人に精神的・肉体的余裕があるかどうかなんて分からない。YouTubeで発信し続けないと気持ちが追い詰められる、という可能性だってある。
ましてや私は、そのYouTuberの方の動画を実際に見たわけではない。YouTuber、という単語の響きから、なんとなくイケイケで元気な人を勝手に想像していたくらいだ。
自分の『当たり前』や『普通』が、他の人にとってはそうでないかもしれないこと。相手の状況や気持ちが理解できなくても、想像して考えること。いつも意識して心がけていたはずの考えだった。
だけどたった今、私は自分の『普通』を確信し相手に押しつけてしまったのだった。反省した。
常識的に考えてこうだろう、普通はこうするだろう。もちろんその感覚が必要な場面だって多々ある。
だけど先輩のように、想像力を持って自分の感覚を広げていきたい。
そういう考えを日常の中で自然にできる人になりたいなと思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?