見出し画像

山田馨「先生」

𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣

岩波書店の編集長から連絡。#山田馨 さんが、2月25日亡くなられた、とのこと。

✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼

山田さんは、元岩波書店の編集者で、児童書部門にも在籍され、今もつづく「やかましネットワーク」を創設し、石井桃子先生を担当しておられた方だ(『幻の赤い実』などを編集)。石井先生が、軽井沢・追分の別荘へ行く時には運転手をするなど、公私にわたって支え、石井先生にとって、ただの編集者を超えたような存在だった。

✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼

私が高校生ぐらいの頃、山田さんが実家の竹とんぼを訪ねてくれた。私の両親は、山田さんに、当時、品切れだった『とぶ船』を復刊してほしいとお願いした。山田さんは、その本の担当編集ではなかったものの、両親の心意気を買い、東京へ戻った際、社長に直談判し、復刊につなげてくれた。もちろん、恩を仇で返すわけにはいかない両親は、死にものぐるいで復刊した本を売り切った。時代が変わっても、それが人、それが商売、なのではないかと思う。

✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼

私は、山田さんには、就職活動で東京に出るようになってから世話になりはじめ、就職後も、何かとかわいがってもらった。学生の頃、何の常識も知らなかった私は、アポなしで岩波書店におしかけ、受付で山田さんを呼び出し、神保町の喫茶店や居酒屋で話を聞いてもらった。新宿ゴールデン街にもつれていってもらい、止まり木のようなカウンターで、出版界とは関係ない、いろいろな職種の人と出会わせてもらった。

✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼

私が20〜30代の頃、いわゆる団塊の世代は、まだ現役だった。そして、そんな団塊の世代とのお酒の席で、どれだけ自慢話を聞かされたことか。そんな時、私は、何度もこう言いたくなった。「それは、あなたの実力ではなく、高度成長期のおかげでしょ?」と。私は、就職超氷河期から社会人が始まったロストジェネレーションだ。社会人になってこのかた、好景気を味わったことがない。だから、そんな団塊の世代を見て、密かに心に誓っていた。「こんな大人には、絶対にならないようにしよう」と。

でも、山田さんはちがった。同じ団塊の世代であるにもかかわらず、だ。いま思えば、編集者として、あれだけの経験と実績があったのに、自分の話は、ほとんどせず、ただ、私の話を「うん、うん」と聞いてくれ、時折、カウンターのママや、常連のお客さんと、趣味で作っていた丸太小屋やわさびの話をするだけ。でも、お酒がまわってくると決まって、僕の頭をつかみ「由くん、君を支持する!」といって、脳天に、チュッチュッとキスをする。そして、別れ際には、いつも「でも、由くん。本当にいい子どもの本を作りたければ、子どもの本の世界の中だけにいちゃダメだよ。もっと視野を大きく持つことだ」と、言ってくれた。

✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼

私がこれまでに出会ってきた偉人は、みな、若い人の話を聞こうとする姿勢があった。そして、いつしか、私の中の理想の編集者は、山田さんになっていた。山田さんは、岩波書店を退職後、生涯付き合いのあった谷川俊太郎さんの本を出したり、講演活動をしたりしていたが、まだまだ残せるものがたくさんあったはず。本当に悲しい。ここ数年、大切な人との別れが、あまりにも多すぎる。

✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈••✼

画像1

※画像は、紀伊国屋書店さんのHPからお借りしました。9年前に紀伊国屋サザンシアターで行われた、谷川さんと山田さんとの対談告知ポスターです。

#絵本
#読み聞かせ
#絵本のある暮らし
#絵本のある子育て
#小宮由
#こみやゆう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?