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017 地名の歴史「総の国」千葉


皆さんこんにちは、コバチバです。

今日は千葉の地名の記事を書きたいと思います。

はじめに

一節では日本は諸外国に比べ膨大な地名があると言われています。  

地名の大部分は由来があり、紐解くことでその地の歴史、自然風景や人の営みを知ることができるので、自分の住む地名の意味を知れば身近な歴史に触れることができます。

今回は私の住む千葉県の旧国名である、下総国と上総国を中心に見てみたいと思います。

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総の国

安房・上総・下総の房総三か国は大化の改新以前の律令制度が整う前に「総国」(ふさのくに)と呼ばれていました。

そもそも総とは麻の別称の事です。「古語拾遺」(平安時代の神道資料)によると阿波(徳島県)の忌部氏が東国に来て麻を植えた時に、麻がよく育ったことから「総国」と呼ぶようになったそうです。

麻は衣服の繊維として当時使用され、調と呼ばれる税金にもなりました。

後の上総国で作られた麻織物である望陀布は、上質であった為「東国の調」と呼ばれて古くから宮中行事や祭祀に用いられてきたそうです。


そして律令制が進められ、行政区分が新しく編成され、3つの国に分かれました。

安房国は阿波の忌部氏が住んだことから阿波→安房と命名されたと言われています。(安房国一之宮である安房神社は忌部氏の創建とされています)

上総と下総は上の総と下の総に分かれたことは安易に予想できますが、地図で見ると北部分が下総で南部分が上総になっております。

これは当時は都に近い部分を「上」としていたので、当時の総の国から都(京都・奈良等)への交通手段が船であった為、総の国の下側が都への出発地点で都に近かったのでこのようになったと言われています。

最後に

千葉が元々は麻と結びつきが強い地域というのは、意外でしたね(^^;

麻はいわゆる麻薬の大麻(麻の葉と花穂)であるため、今では栽培が大きく制限され千葉で見ることは難しいですが、このような歴史があったことは覚えておきたいと思います。



最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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