倍速視聴するくらいなら見ない方が良いのでは?

コスパだタイパだと言い、映画やアニメなどを倍速視聴する人が増えていますが
僕には倍速視聴の良さが全く理解できない。

僕は倍速視聴するくらいなら、全く見ない選択をする。
倍速視聴は時間の無駄にしか思えないから。


なぜ倍速視聴するのか?

倍速視聴のメリットとしては時間節約が一番大きいと思われます。
例えば2時間の映画を2倍の早さで観れば、2時間で2本の映画が観れてしまう。
これを繰り返せばより多くの作品を観れるという寸法だ。

今の時代はテレビ、YouTube、Netflixなどのサブスク
映像を観るだけでもさまざまな媒体がある。
それだけでなく
漫画、ゲーム、SNSなど映像以外にも時間を奪うコンテンツが山のように溢れ返っている。
少しでも多くのものを消費するためには倍速視聴が必須になってくる。
そう考えれば合理的に思えなくもない。


より多くの作品を観ることに意味はあるのか?

倍速視聴をする気持ちはわからなくもないが
そもそも、何故みんなそんなに多くの作品を観たいのか?
“観たい”と言うより“消費したい”と行った方が正しいのかもしれない。

とにかく数をこなしたい。
そのためには時間を無駄にはできない。
倍速視聴が必須だ。
それを毎日毎日繰り返す。
で、その先にあるものは何なのか?

たくさん作品を消費していれば、多くの作品を観たと誰かに自慢できるかもしれない。
視聴した数で他人にマウントを取れるかもしれない。
オタクとして一目置かれる存在になれるかもしれない。
ただ、僕にはそれが空虚なものに思えてならない。


作品は情報ではない

倍速視聴をする人たちは
映画、ドラマ、アニメなどの映像作品を
ただの情報としてしか見なしていないのではないだろうか?

ストーリーを知れればいい。
劇中のセリフを知れればいい。
キャストを知れればいい。
そんな人は倍速視聴で十分かもしれない。
情報を得るだけなら、そりゃ倍速視聴で事足りる。

しかし、作品というものは情報の羅列ではない。
そこには作者の思いや演者の思いも込められている。
それは具体的な表現だけでなく、抽象的で感覚に訴えるものも多い。

動き、表情、間、テンポ、色彩、構図
さまざまな方法で“何か”を表現している。
時間も“何か”を表現するための要素であるが、倍速視聴はその時間をねじ曲げてしまうのだ。

ストーリーの良し悪しで作品を判断する人間も多くいるが
結局、ストーリーも“何か”を表現するための一要素でしかない。
倍速視聴で時間をねじ曲げた上に、ストーリーというたった一つの要素だけで作品について語るなんて片腹痛い。

僕が映画を観る理由

僕は昔から映画が大好きでたくさん作品を観てきた。
何故たくさん映画を観るのかと言うと、“これだ!”と思える作品に出会うためである。
でも、そんな作品に出会うためにはただ作品を消費しているだけでは不可能だ。

一つの作品について思いを巡らす。
面白い作品は何故面白いのか?
このクソ映画は何故クソなのか?
何故自分はこの作品が好きなのか?
作者はどのような考えでこの作品を作ったのか?

文脈、時代背景、演出、音楽
さまざまな要素から一つの作品について考えることができる。

これを繰り返していると
時々、衝撃的な出会いが訪れることがある。
ゼロの状態ではこの出会いが無かったかもしれない。
多くの作品と真剣に向き合ってきたことで、多角的なものの見方ができるし自分の感性も磨かれる。
そうすれば自分の心に突き刺さる“何か”に気付くことができる。
その“何か”は作品全体のこともあれば、作品の中にたった一瞬しかないこともある。

倍速視聴で消費を繰り返すだけでは
作品の真髄を見抜く洞察力や感性を磨くことができないだろうし
倍速視聴の速いスピードの中では、作品に込められた“一瞬”を見落としてしまうことだってあるだろう。


倍速視聴は時間の無駄

倍速視聴をすれば多くの作品を消費できることは間違いない。
しかし、僕にとってそれは全く何の価値もない。
どんなに多くの作品を観ることができようが、“これだ!”という作品に出会えなければ無意味だ。
僕には時間の無駄でしかない。

タイパだ何だと言い、倍速視聴で無駄に作品を消費し続けることは
無駄に時間を消費し続けることと同様ではないのか?
それは本末転倒だと思うが…。

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