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出生率低下のニュースを見て感じたこと。

今日、こんなニュースを見た。

twitterやブログなどを見ていると、「子供を作らない選択を、周囲が理解してくれない」ことに対する意見を見かけることがある。

都会では「子供を持たないことも一つの選択肢」という意識が定着しつつあるのだろうか。と思う一方で、私の周囲には「子供を作らない」と決めて、その言葉通り子供を作らずDINKS生活を楽しんでいるカップルは1組しかいない。

「子どもが嫌いだから」と公言していても、40歳を目前に出産を迎えたカップルは多い。

そこにどんなドラマがあったのかはわからないが、このように前もって宣言していた場合、周囲の圧力ではないところで方向性の転換があったと思われるので、「子供」の持つ吸引力というか、「子供が欲しい」というのはほとんど本能的(特に女性にとって)で、理性で抑え込む/自分を納得させるというのはすごい精神力だと思う。

(だから子供が欲しい妻に「おれは子供は欲しくない」とか言っちゃう夫がいたら、何か一つ本能を我慢してください)

そういった意味では、日本は本当に進んでいる国だと思う。

もちろん全員がそうだとは思っていない。私の場合は自分でも不思議なくらい一時期子供が欲しいという観念にかられたので、人間の本能の中にも「種の保存」があるのかなと思ったのだ。

このニュースを見て面白いなと思ったのは「人類という種そのものが老化に向かっている」と感じたこと。

人類は生存戦略として、弱者を保護しその数をとにかく増やすという方法をとった。それにより労働者の負担が増え、性差なくダブルインカムで稼いでいかないと将来家賃すら払えなくなるという未来が見えた。そのような将来が見えたとき、子供はリスクでしかないのだから出生率が下がるのは理にかなっていると思う。その結果として人類全体の年齢層が高くなる時期がある。

ひとつ気になったのが、本文中にある

出生率の低下は、精子の数とも、生殖能力について議論する際に頭に浮かぶありきたりな事とも、何ら関係ない。そうではなく、教育を受け仕事をする女性が増え、避妊がもっと簡単になったことで、女性がより少ない子ども数を選択するようになったのだ。いろんな意味で、出生率の低下は成功談(サクセス・ストーリー)なのだ。

この文章はすごいと思う。出生率の低下を生殖能力と結び付けて考える発想も驚くが、出産の義務と権利を女性のみが背負わなければいけないのなら、そりゃあ出生率が下がって当然だと思う。女性側にその権限があって出生率を高めたいのならば、彼女たちが安心して産める環境づくりを徹底するべきだが、最終的な目標にされているのはせいぜい「男女平等」である。安心して産めれば、女性はもっと子供を産みたくなると思うのに。

昔ある男性が言っていた言葉も頭をよぎる。「頭のいい嫁さんはもらうものじゃない」と。そういった議論になってしまうのは明白なのだろうか。

IHMEのスタイン・エミル・ヴォルセット教授は、「人口減少への対応は、多くの国で最優先の政策課題となる可能性が高い。しかし、女性のリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)あるいは女性の権利の進歩を推し進める努力は妥協してはならない 」と述べた。

いまから100年後に人口が半分になったとき、そこからまた増加に転じるかそのまま減少するかはその時代に生きている人が決めることだ。

外的要因に滅ぼされるのではなく、種として老衰による死(絶滅)を迎えられるのならば、それは決して悪くない結果のようにも思えるが、その前にある転換期をまず乗り越えていかなければならない。

現行の経済システムのまま世界中で少子高齢化が進めば、一般人がさらっと読んだだけでも、税金で社会保障費を賄うというのは無理だと感じる。

私の子供たちは、2100年にちょうど80代。それはもう決まっていることだし、今日までに生まれた赤ちゃんの数も、増えることはない。ただ有能なリーダーを選んでほしいと願うばかり。

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