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水の中に

去年の9月から、ポーラ美術館で開催されているロニ・ホーン展。
少しだけ雨が残る箱根旅行2日目に、ついに行ってきた。

「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」

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小さいころから水が好きだ。
弾けるようだけどあとに残る匂いも、
とろっとしているようで何も残らない質感も。
晴れていたって集中したいときは雨音のプレイリストを聞く。
妙に心地が良い。

だからといって、水について調べたこともないし、
深く考えたこともなかった。
水は水であり、そこに疑問は持たない。

でも今回のロニ・ホーン展をたまたま見かけたときは、絶対に行かなければという使命感さえ感じた。

そもそも「水」とはなんだろう。

水:化学的には水素と酸素でできたきわめて単純な物質。にも関わらず、私たち人間をはじめ、地球上のすべての動植物にはかかせないもの。温まれば水蒸気という気体になり、冷えれば氷という固体になる、気体のときは雲のように目に見える場合もあれば、まったく見えない単なる湿度として存在するときもある。固体の場合は、雪や霜柱、あられ、雹にもなる、変幻自在の物質。


水について調べると、とんでもない量の資料が出てくる。
そりゃあ、そうか。
生きていくのになくてはならない物質だもの。


演説の中でホーン氏は水をユートピア的な物質と語っていた。

水は連続性を持つが他の水とは融合しない。
しかし集約する連続性は、私たち人類のアイデンティティに置き換えられる
と。

んー、と散々頭をひねらせる。
連続性と同一性の関係が上手に結びつかない。
一瞬で消える、またすぐに消える、を繰り返す、
均等に広がるように見える円状の線を思い描くが、
その先があるのか、ないのかすらわからない。
アートに対する感情は人それぞれと言えども、
作り手の感覚には近づいてみたいものだ。

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帰ってきたあともやはり気になってしまい、展示会のあと、彼女のインタビュー記事を読んだ。

多種多様なモノと接触しているのに、なぜここまで透明でいられるのか? 
この不思議な矛盾が水の本質を物語っていると思います。
私にとって水は動詞であり、常に何かしらに触れている「つながる」行為を示していると考えています。

彼女のいう矛盾が、自身の疑問と近しいものと後付けしておこう。
記事を読んで紐解かれる疑問と同時に、
水のような本質で生きることは、自分には難しいと感じる。
触れれば触れるほど不透明さはなくなり、
不透明さを求めれば求めるほどつながりはなくなる。

しかし彼女の作品は、無関係な多種多様同士を、
つながりとして表現していたと、少しずつ腑に落ちていく。

水から発展させていく経験、
水が好きだという根源。
水の中に感じるあなたという私が、
水面に広がっていく輪のように、
止まらない波の流れのようにつながっていると、
感じられるようになりたいと思う。
身近にある存在の、
確からしさを確かめていきたい。


3月末までなので、みなさんもぜひに。

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