よろこびも苦しみも享受して生きていく ダブルスタンダード版
【表】
死にたいな、もう死にたいっていう気持ちしかないやーーこんな気持ちになることなんてしょっちゅうだ。前の日は元気で気分がよくても、目を覚ますとヘドロのようなものに包まれているような気分の悪さを感じることがある。もはやヘドロが絡みついてるのか、自分自身がヘドロなのか判断がつかない。
わたしがこれまで書いてきたnoteを振り返ると、自分自身でもおどろくくらい前向きなことを言っていたりする(そんなことないですか?)。
自分としては、いろいろなことに諦めた上での新しい解釈だったりする。あくまで書きながら自分に対しても、「〜というような考えがありますよ?いかがです?」と提案している要素もある。あとは、「どうか好転しますように」という祈りであり、願いでもある。
落ちたら限りなく死にたいだけの人間だから、人間としての形状を保てる期間はできるだけ明るく生きたいと思う。わたしが望む/望まないに関係なく、何もできない時がくる。今は珍しく前向きに考え事ができる時期というだけ。
「明けない夜はない」という有名な言葉があるけれど、明けてもさ、また夜はくるじゃん?って思ってる。ただ夜はつづかないんだよね。
悪い状態は年単位でつづくこともあるし、そういう時期は耐えなければいけないんだけれど、一生はつづかない。良いことも悪いことも同じようにやってきて(圧倒的に悪いことのほうが多いとは思うけれど)、どちらの時期も受けとめる必要がある。
良い時はハッピーを全身で感じればいいし、悪い時はただひたすらに耐える必要がある。これが本当に辛くて、絶対に死んだほうが楽じゃんと思うけれど、簡単なほうに身を任せてはいけないと思っている。
いつか良い時はやってくるって信じたいけれど、そんなもの実はないのかもしれない。
それでも耐えることも信じることも祈ることも願うこともやめてしまったら、終わりしかない。死ねるならいいけれど、生きながらにして死んでる状態は最悪だと思う。最悪な状態でも楽しめるマインド持ってたら別に何てことないけれど、自分はそういう人間ではないって知っているから(最悪な状態を愛せるようになったら本物だよ、尊敬する)。
耐えて、耐えて、耐え抜いて、わずかな希望を信じて、今できることをほんの少しでいいからがんばろうと思う。人生はつづく限り、きっと同じことの繰り返しだろうけど、それでも何とか生き抜いていきたいね。よろこびも苦しみも享受してさ。わたしはまだ諦めないし、格闘をつづける。負けたくないからね。うつも20年経つと、ここまで進化するみたい。
【裏】
死にたいな、もう死にたいっていう気持ちしかないーーこんな気持ちになる毎日だ。前の日は元気で気分がよくても、目を覚ますとヘドロのようなものに包まれているような気分の悪さを感じることがある。もはやヘドロが絡みついてるのか、自分自身がヘドロなのか判断がつかない。ベッドから移動することができない。横になってしかいない。多分ヘドロなのはわたしだ。
わたしがこれまで書いてきたnoteを振り返ると、自分自身でもおどろくくらい前向きなことを言っていたりする。自分としては、いろいろなことに諦めた上での新しい解釈だったりするが、いつもこんなことを考えられるわけがない。調子の悪い時に読み返すと、自分から「〜というような考えがありますよ?いかがです?」と提案している要素を感じとることはできるものの、実際の自分と乖離していて、よくそんなことが考えられたものだなと思う。祈りや願いのメッセージのように感じるが、症状がよくならない限り実現はむずかしい。
こんなに苦しい思いをするのが生きているということなら、そんな実感いらないから死なせてくれと思う。
人間としての形状は保ってない。食事もできないし、シャワーだって浴びることができない。どんな高いモチベーションをもっていたところで、理由もなく唐突に落ちる。良いことなんて何も考えられない。
「明けない夜はない」という有名な言葉があるけれど、あれは間違っている。物理的な現象として夜は明けるだろう。日本には極夜もなければ白夜もないから日は昇り、日は沈む。だが、夜のような日々は永遠と思われるほどつづく。終わりよければ全てよしというように、終了地点からそれを観測すれば、年単位で終わる苦しみと捉えることができるだろう。だが、苦しんでいる最中にそんな捉え方ができるか? 今日が苦しいだけで嫌なのに、その先も年単位で苦しむなんてそれは地獄だ。もし心身共に健康な人がそんな予告をされたら怯えるだろう。一生はつづかないからよし!なんて誰がなるんだ、ばかなのか。人生の良いことなんて全体のわずか8%で、悪いことは92%。これにどうやって希望を見出したらいい? どちらの時期もまともに受け止めてたら精神が壊れるのは当然のことだろうよ。
良い時に感じるハッピーなんてものは麻薬だし、悪い時があまりにも長すぎて、耐える力が残ってない。死にたいよ、ただひたすらに。思うことは自由でしょ。
いつか良い時がやってくると信じたくても、信じることのできるこれまでの実績がない。実績がないのに「絶対きます!」なんて言えるのか?
もう終わりでいい。いっそのこと終わりにしたい。生きながらにして死んでる状態でかまわないから、全てを諦めてしまいたい。本当はそんな風になれないのもわかっているけれど(どうしたら最悪な状態でも愛せるようになれるんだろうか)。
もう耐えたくない、耐えたくない。わずかな希望を信じても、失ってしまうものばかりだ。今できることをほんの少しがんばればいいって言うけれど、もうそんな余力ないんだよ。どれだけがんばればいいの。人生はつづく限り、同じことの繰り返し。何とか生き抜いてもまた暗闇が待ってる。それでも何とか生き抜いていきたいと泣いている。よろこびも苦しみも享受する。わたしはまだ諦めないし、格闘をつづける。負けたくないから。うつになってから20年経つけれど、苦しみが楽になることはないって日々実感する。つらいよ。
どちらもわたしの本当の気持ち。
わたしが死んだら悲しむ母親と兄がいるから生きなきゃと思う。あと犬と猫。看取るまでは絶対に死ねないよ。がんばるよ。
みんなもそれぞれの理由でがんばって生きていこう。がんばらないと生きることは不可能だからがんばろうって言うよ。生きるってしんどいね。
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