ダイヤルはいつも5のままで
勘は侮れない。ふだんは自分のことを信用できなくても、“ここぞ”という時は信じてもいいかもしれない。いや、信じなければいけない時もある。賃貸物件に入居する前は特に。
引っ越しが好きだ。というか同じ家に長く住みつづけるというのが苦手だった(今の家は猫のために選んだ物件なので長く住む予定だが)。
これまでの人生で、引っ越しは7回ほど経験している。と言っても自分都合では、3回といったところか。引っ越しには慣れたものだし、家探しも得意なほうだと思う。
住んでから嫌な思いはしたくないと、わたしだけに限らずだれしも思うことだろう。だから条件を満たすだけでなく、住む街の治安や周辺環境も重視する。
それでも一つ前に住んだあのマンションを選択してしまったのは、失敗だったと言わざるを得ない。どうして選択を間違ってしまったのだろうか。最初から全て間違っていた気がする。
まず内見。引っ越すうえで内見はとても大事だ。
それを夕方に設定してしまったのが、大きな間違いだった。がらんどうの家は多少なりとも怖さを内包している。夕刻ともなれば、多少の不気味さはあってもおかしくないと思い込んでしまった。“なんか怖い感じがするな”という直感を見逃すべきではなかった。
わたしは夫とその家で2人暮らしをスタートさせた。
そのマンションは20戸以上入居可能なそこそこ大きなマンションだった。ポストは戸数分がエントランスに設置されていた。
ダイヤル式ポストには暗証番号がつけられていたが、自分で設定するものではなく、住人全員が同じ番号を共有するという杜撰なものだった。最後が5で終わる。
住んでからしばらくしてある違和感を覚えた。
共有の暗証番号といえど、わたしはいつもポストの扉を閉めた後は、ダイヤルをランダムの番号にしていた。5で終わるからといってそのまま放置したことはない。それなのにダイヤルは必ず5になっている。
最初は偶然かと思っていたが、意識して確認するようになってからも番号はいつも5になっている。だれかが何の目的でそんなことをするのか理解できなかったが、不気味だった。
気持ち悪いけれど、郵便にいたずらをされてるわけでもなかったから、気にしないふりをした。わたしも夫も手続きなどを先延ばしにする悪癖があった。簡単に言うならば、面倒くさいの一言につきる。
数カ月経っても、ダイヤルはいつも5になっていた。
同時期に家を留守にして帰ってくると、だれか人がいたような違和感を覚えるようになった。わたしだけでなく、夫も感じていた。
さすがにそれは勘違いだと思いたかったが、テレビなどで盗聴されている家は案外存在するというはなしを聞いていて、急に怖くなった。
ポストの件といい、気味が悪い。さすがにこれはこのまま放置すべきじゃないと思い、夫に相談した。
「さすがに気持ちが悪いよ。もし家に人が入っていたり盗聴とかされていたら怖いから、試しに盗聴器が仕掛けられてないか調べてもらおう」
何もなければそれに越したことはない。とりあえず、一度盗聴器の有無だけ調べたいと思った。
わたしたちがこの話をした翌日、ポストを見るとダイヤルは前日のわたしが設定した8のままになっていた。5カ月以上つづいたポストの暗証番号のいたずらは、この日以来ぱたりと止んだ。わたしはぞっとした。
引っ越す準備ができない今に盗聴器を調べたところで何になるのか。心理的負担が増えるだけだろう。
病状もよくなかったわたしは、考えることをやめた。
しばらくしてから離婚が決まって、このマンションを出ることになった。心の底からほっとしたのを覚えている。
もしあのマンションを選んでいなかったら、離婚することもなかったんだろうか。それはわからない。
だが、内見をした際に自分の勘に従っていれば、もっといい結果になっていたかもしれない。
真相はわからずじまいだ。ただ恐怖を感じたり、気味が悪いと思った感覚は紛れもない真実だ。
おしまい
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