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「猫ふんじゃった」の呪縛

小学校低学年くらいの頃だっただろうか。昼休み、友人たちが教室のオルガンで「猫ふんじゃった」を弾いていた。次から次に「僕はもっとはやく弾けるよ」と言って1つのオルガンを奪い合いしているのを、私はぼんやりと眺めていたのだが、輪の中にいつつも積極的に加わっていなかったのがかえって目立ったのだろう。次は「あなたの番だ」と言って譲られたオルガンを目の前にして、私は立ち尽くした。弾けなかった。ピアノを習ってはいたが、猫ふんじゃったは弾いたことがなかったのだ。


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うちの家は休日を迎えると、母がその時気に入っているジャズのアルバムを延々と流しながら、父が買ってきたパン屋のパンをコーヒーとともに(と言っても私たちはコーヒー牛乳だったが)いただくような家庭で、生活に音楽は溢れていた。ただ、猫ふんじゃったは全く弾けなかった。もしかしたら見よう見まねで何となくできたのかもしれない。しかしたくさんの友人に囲まれてそれをやってのけるだけの勇気がなかった。それを見て何となく察した友人たちはへぇ、ふぅーんとしか言わなかったのだが、明らかに面白くねぇなという表情をしていて、自分が世の中に取り残されたような気分になった。今ではあの頃の友人たちに負けないくらいのはやさで弾くことができる。だが、あの時初めて感じた寂しい気持ちと違和感は未だに忘れていない。たったそれだけのこと、と思えば思うほどしっかり記憶に残されていた。


そんな瞬間はまだ他にもあったと記憶している。今流行っているアニメの登場人物を知らなかったとき、面白かったと評判のドラマを見ていなかったとき、大多数がハマっているゲームをしたことがなかったとき。私は私でその時情熱を注いでいるものは他にあって、それらについてなら十分に語ることはできたが、その面白さについてプレゼンするだけの言葉と勇気を持っておらず、いつも知らないが故に話を盛り上げる「上手な聞き手」にならざるを得なかった。それはそれで面白かったし、知らなかった世界について知識を広げることができるから感謝していたけれど。でも、もっと自分の言葉で自分の感性を揺さぶるものの話をしたかった。そしてその感覚を誰か一人にでも肯定されたかったのだと思う。



同時になんだかそのような空気に少し違和感も感じていた。今になってやっと違和感の正体は理解できるが、当時は分からなかった。なぜみんなが良いというものが良いことになるのだろう。別に周りはそういうつもりでリアクションしているわけではなく、自分の「面白い」を共有したくて話しているだけなのだろうが、異なる趣味嗜好や考えを持っていると分かると途端に冷める学生時代のあのノリは少し生きづらかったと思う。大人になれば、「え、違う?なにが好きなの?」と聞き返されることも増え、多様であることが認められて前提にあるように感じる。だから安心して自分の感覚で発信ができるし、それなりに生きる中で発信する言葉を得てきたから勇気も持てるようになった。でも未だに「すき」を発信しようとするとき、あの空気感の記憶が頭をよぎり心が揺れる。そしてそうなる自分にも少し嫌気がさす。


だから私は今、誰かと話をするとき、自分の話をするより先に何に興味を持っていて、何がおすすめなのか、どういうところが良いと感じるのかゆっくり聞くようにしている。特に仕事中に関しては仕事自体には直接かかわりのないことだからか…尋ねられることがあまりないせいか、それを聞かれた彼らは一瞬言葉を探しながら戸惑った様子を見せるが、話し始めると目を輝かせる。「あの、うーん…そうだなぁ。僕は〜が面白いと思うんですけど…どうだろう、ハマるかは分かりませんね。」と笑う姿は何だかとても愛おしい。そう、それでいいのだ。好みは人それぞれだ。だから「自分はこうなんだよね」と発信することを恐れないでほしいし、言いにくい環境や関係性を生まないように動きたいと思っている。


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「なんかさ、定期的に更新していてマメだよね。私は面倒だし、あっいいじゃんコレで終わるよ〜大体のことが。」と先日言われた。決してマメなのではない。どちらかと言うとめんどくさがりな方だと自覚している。ただ良いと思ったもの同士を組み合わせて何か1つの形にするのが楽しいだけ。そして自分の「良い」から繋がっていく世界が好きなのだ。時に知らなかった新しい「良い」に繋がっていくこともあって、共鳴から広がる世界はなんだか豊かだ。だから身近な人たちと多少好みが違ったとしても、自分の好きなものの世界はしっかり持っておくべきだと私は思う。



二十歳になるまでにやっておきたいこと」についてまとめる機会があったとき、私はこう言語化した。

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① 「なんで?」「なにそれ?」と思った疑問をそのままにせず深める。

②自分の「好き」をたくさん集める。

③語彙力・英語力をつける。

④「苦手だろうから」「大変だから」で辞めたり諦めたりせずにまず挑む。

⑤がむしゃらに何かに取り組む経験をする。

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私らしくまとめられたと満足している。特に2つ目は今回のテーマに通ずるところがあるが、そうなのだ。熱く語れる「好き」なものを持っているということは、1つの言語を習得しているということに近いと思っていて。同じような感覚を持った人たちとの理解を深めたり、関係性を豊かにしたりする。知らなければ、なかなかスムーズな会話はできないし、聞くことに精一杯になって双方向の会話が難しくなる。それはそれで良いかもしれないが、続けば面白くない。習得している言語は多い方がいい。


だから書くし、発信をする。そのために考え、広げ、聞いている。怖めず臆せず、この連鎖を楽しめるような世の中であってほしいし、自分でありたい。











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