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尊敬と愛をこめて。自分語りのあとがき。

ちょうど一週間前、自分についての記事を書いた。そしてある程度信頼している人たちに向けて発信した。

驚いたのは、思いのほか読んでくれた人たちからの反響が大きかったこと。

それも、感想や思いを言葉にして伝えてくれる人が多くて、すごく励まされた。


ここ最近、自分はすごく愛されていると感じる。周りの人たちに生かされている、と。

リスペクトをもって自分と接してくれる人たちがすごく多くて、これほど恵まれたことはないと思う。


正直なところ、書いた記事を投稿するのは簡単ではなかった。

書くこと自体はすごく簡単だった。これまで長い間考えてきたことだったし、何よりも自分のことだったから。

けれど、昔から自分の気持ちや考えを伝えるのがひどく苦手で、それによって傷つく人がいるかもしれないと思うと、余計に「伝えること」から逃げてしまいがちになる。

けれど、「伝える」ことを疎かにすべきではないと最近感じている。それによって自分が生きる世界を変えることができるから。

だから、自分の思いを伝えるための第一歩として、あの記事を選んだ。



眠れない夜、思い立って書いたのがあの記事だった。書き終わった後一度ベッドに入って、自分の頭と一緒に記事を寝かせた。

5時間ほど経った後、改めて読み返す。その後も校正のために3,4度読み、手を加えた。

何度読み返しても、自分が書いたことに間違いはないと確信することができた。

けれど、いざ発信するとなるとそれはまた別の話で。

読んだ人からの反応や、自分がこれまで通りの自分ではいられなくなるんじゃないかという、漠然とした、同時にものすごく巨大な不安がじわじわと迫ってくる感覚があった。

この記事はあまりにも独りよがりなんじゃないか、読み手の事が考えられていないんじゃないか、と緊張した。

僕は、ゲイであることによって自分が人より特別苦しんできたとは思わない。人それぞれ、それぞれの生きづらさや苦しさを抱えていて、それを日々乗り越えて生きているから。

自分は何も特別じゃない。にもかかわらず、これまでに自分が経験してきた苦しさや葛藤、ネガティブなものたちを綴るのは矛盾している。今でも少なからずそう思う。けれど、僕は僕が書いたことに自信を持っているし、間違っていないとも思っている。

自分が一番の自分の味方でいたい。今はそう思うから。


結果、このプラットフォームであの記事を公開したことに対して後悔は微塵もない。普段からリスペクトをもって僕と接してくれる人たちは変わらず尊敬と愛のこもった言葉で僕に思いを伝えてくれた。

疑問や不安も込めた、偽りのない言葉を贈ってくれた正直な人たちもたくさんいた。


その中でも実りがあったと感じたのは、「今ままでの自分の行動を反省した」と言ってくれた人たちが本当に多いことだった。

多くの人はまだLGBTQ+の人が自分の半径1メートル以内にいるのを認識できていない

記事の中で僕はこう書いた。

そして一定数の人が、「実際のところあなたが伝えてくれるまで自分も同じ考えで居た」と伝えてくれた。

「これまでの自分の行動を反省して、自分の行動を見直そうと思う。」

僕がこの記事を公開したことに後悔していないのは、こう言ってくれる人たちのおかげでもある。


自分に少しでも非があると感じた時、それを認めるのは決して簡単ではない。勇気と、時に痛みを伴う。そして、自身でそれを受け入れ行動に反映するのは、より勇敢な行為だと思う。

僕はその行為を心から尊敬するし、自分も見習わなければと思う。


1週間経った今でも感想を伝えてくれる人がいるのは、自分にとってこれ以上ない幸福だ。

改めて、読んでくれた人、そしてこれから読んでくれるであろう人たちに感謝したい。


そして感謝ついでにもう一つお願いさせてほしい。

LGBTQ+について興味を持ってくれた人たちへ。どうか知ろうとしてほしい。自分が当たり前だと思っていることに疑問を持ち、自分に問いかけてみてほしい。

LGBTQ+当事者の一人として、誰かが自分のことを、自分たちのことを知ろうとしてくれるのが僕は嬉しい。

世の中には多様な人たちが共存していて、同時に多数の世界が存在してもいる。少し視線を拡げるだけで、目の前には無限に「面白さ」や「知らないこと」が広がっていると気付くことができる。

その手助けをできたら、僕はどれだけ嬉しいかしれない。

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