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終わりのない関係なんて

幸福だ。
幸福だ、と思う時、同時にひどく不安にもなる。

幸福であればあるほど、その種が消えてしまった時、落差に耐えられなくなってしまう気がして。

悲観的、と言うのだろうか。
現実的、とも言えるかもしれない。

冷めた考えだろう。

けれど、その急落下をいくらか経験してきたからこそ、幸福に懐疑的になってしまう。

自分には幸せになる権利があるのに、それを素直に受け入れることができないのは勿体ないとも思う。

幸福でいたい。

けれど、1週間に一度行くカフェで過ごす時間のような、自分が自分でいるための幸福を、少しずつ少しずつ溜め込んでいければ、それでいいんじゃなかろうか。

溺れるような愛も、なりふり構わず前進する情熱も、それが私を苦しめるのなら、私はいい。
少しの幸福で、私はいいのだ。

いつか見た映画。
「始まりは終わりの始まり」なんて、悲しいこと言ってた。

けれどこんな考えはずっと存在していた。生まれた時から人は死に向かって歩き始めている。賢人の考えは、何世紀にもわたって伝わっている。

悲しいかな。巡り巡って今、僕も同じようなことを考える。

終わりに向かって、常に僕たちは歩いている。終わりがあると確信しているから、日々を、今を必死に生きようとするのだ。

karpe diem。何度この言葉に胸を熱くしただろう。
今を生きる。

終わりがあるから、必死に今を生きる。
今を生きた先に何があるかは、分からないけれど。

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