まだ書いていたい。想像力よどうか
20時。ここ最近は22時頃まで外は明るい。
外が明るいからと言って時間の感覚が狂うかと言われればそんなことはない。けれど、この感覚に慣れてしまった今、日本に戻った後どんなことを思うのだろう。
明るい分には、元気が出てくるので個人的には助かっているんですがね。
最近、テンポよく書けている、という感覚がある。これまで2,3カ月に一つくらいの更新頻度だったものが、ここ1週間は毎日のように書いている。
調子がいい、と言えば良いのかもしれない。
けれど、2,3年前の自分が書いたものを読み返すたびに、この想像力が今の自分にはあるだろうか、と不安になる。
つい最近読んだもので、誰かがこう書いていた。
自分も同じようなことを考えていたのだった。
必ずしもネガティブな意味ではないにしても、なんとなく寂しいような気持にはなる。
それに、やっぱり前の自分が書いていたようなことを今書けるかと言われれば、まあ簡単には頷けないなと思う。
それは裏を返せば、毎日新たな自分で書くことができる、ということなのだろう。
ただ、それでもついこの間まで自分が持っていたであろう想像力は欲しい。
どうして前ほどの想像力が発揮できないのだろう、と最近はむんむんとしている。
前、前は純粋にインプットが多かった。純粋にインプットを楽しむことができた。
それに書き始めた当初は、それまでに溜め込んできた想像力や空想、妄想をひたすら外に吐き出すだけでよかった。それだけアウトプットできるリソースが豊富だったのだろう。
今、今はどうだろうか。
ここ最近、芸術に触れるとき、自分は必ずと言っていいほど何か理由を求めている気がする。
「笑いたいから」「泣きたいから」「気持ちを落ち着かせたいから」
それが悪いかどうかは分からない。
けれど、何かを創造することに対して今よりもはるかに柔軟だった以前、自分は芸術に触れる時に意味や理由を求めてはいなかったような気がする。
目の前に現れたものに対して、「面白そう」かそうじゃないか、自分の中にあったのは、そうしたごく単純な基準だけだった。
一度、そこに立ち返ってみようと思う。
何事も難しくとらえようとしてしまう。難しいまま理解しようとしてしまう。そうして知らず知らずのうちに、自分は硬くなってしまったんだろう。
ごくシンプルに世界を見ることから、また始めてみたい。
だってまだまだ書いていたいから。自分が書いたものを、好きでいたいから。
想像力、戻ってきておくれ。
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