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八幡の空襲と長崎の原爆について

長崎に落とされた原子爆弾が元々は北九州の小倉に落とされる予定だったというのは北九州市民でも知らない人が多い、全国的に見れば全然知られていない話だとは思うけど、地元の八幡がその前日に大空襲に遭って焼き尽くされた身としては全然他人事じゃないので毎年思い出す。

八幡の空襲と長崎の原爆について知っている人や親族から聞いた体験談の中で印象深いものが3つ

①小学校の頃に通ってた剣道教室の先生の話
八幡がすごい空襲に遭った。
自分の家族とか家は幸い大丈夫だったけど街に救助に行ったら行きつけの床屋のおっちゃんが丸焦げになって道端に積まれてた。
なにくそ、許さんぞと思った。

②母方の祖父の実家の話
八幡の空襲の日に屋根を突き破って落ちてきた焼夷弾が座敷に刺さった。
これはヤバい!と咄嗟に思ったひいばあちゃんが焼夷弾を抜いて庭にぶん投げたので家が焼けずに済んだ(本当か?)

③父方のじいちゃんの話
佐世保で学生だったじいちゃんは長崎に原爆が落ちた次の日かその次の日くらいに汽車で長崎へ救援に入ったらしい(父からの又聞き)

戦争はよくないっていうのは幕末でいう尊王攘夷くらいどこの誰でも唱えるお題目みたいになってるけど、実際こうやって戦闘員でもないのにいきなり巻き込まれることを考えると少なくともイケイケで支持する理由は無いよね。
殺されるのももちろん嫌だし、製鉄所の人の話を見て思ったのは「動機も覚悟もない人がいきなり人を殺す側の立場に立たされる、しかも敵国ならまだしも自分と同じ国の人を」ってのが本当に残酷ってこと。
戦争回避のためなら主権も国土も棄てるぜってのは違うと思うけど、もはや戦争しかないみたいな状況になりつつある時にイケイケで乗っかるんじゃなくて「本当にそうか?」と考え続ける事だけはやめたくないですね。
ただ「戦ってでも奪い取る」という判断を現実的な選択肢として持っている国がすぐ近くに居ることは忘れてはいけないし、そんな国と鍔迫り合いをして力負けしないような備えは絶対に必要。これは戦争反対とは次元の違う話。

④本題とは全く関係ないけどじいちゃんの話
学生だったじいちゃんは学校で武器製造をしていたらしいんだけど、先輩の女子学生のイジメ(暴力)がひどくて度々逃げ出しては学校の近くの砂浜でサボって寝てたらしい。
ある日サボって砂浜で寝てたら米軍のグラマンが飛んできて、機関銃で自分を撃ち始めた。
グラマンの機関銃は両翼についてて弾が二条になって出てくるけど、ちょうどその間にじいちゃんが居る感じ。
ヤバい!殺される!と思って逃げ回ってたけど、グラマンは何度か同じことを繰り返したあと飛び去って行った。
じいちゃんは「本当に殺されるかと思ったけど、あっちは遊びでやってたな。ハハハ(笑)」って言ってた。

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