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エジプト旅行記⑧ 【カイロのモスクに行ってみた!】 2024/1/12〜28

前回の旅行記は次のとおり


2024/1/20  ムハンマド・アリモスク スルタン・ハッサンモスク アル・リファイモスク エジプト考古学博物館


今回カイロを訪れ、
どうしてもモスクに行きたかった。
昔モロッコに行った理由のひとつもモスクだった。あの繊細な室内外の装飾の美しさを堪能したかったのだ。

第一日目のガイドだったアボさんが、
こちらからモスクの話をする前に、
「モスク見ませんか?」と
提案してきていた。
ガイドも商売で追加注文を迫ってくるし、
モスクも準定番だから薦めたのだろうが、
そこにはエジプト人の歴史を誇りに思う気持ちも感じられた。

3つのモスクを見せたいと言う。
ムハンマド・アリモスク
スルタン・ハッサンモスク
アル・リファイモスク
おおっ!行きたいモスクが2つもある!

何度もしつこくて申し訳ないのだが、
この旅行記①でも述べたように、
今回のエジプト旅行の下調べの時、
上記のnoteのローローさんの記事で、
マックス・ヘルツという建築家を知った。

カイロのモスクや教会や邸宅の修復と建設に
マックス・ヘルツというユダヤ系ハンガリー人の建築家が、深く関わっていた歴史的経緯を詳しく説明されている。

例えばマックス・ヘルツが、スルタン・ハッサンモスクとアズハル・モスクの修復とアル・リファイモスク建設を、手掛けているとか。

その内装の美しさといったら、空前絶後だ。なぜこれほどまでの美しさが今ひとつ日本に紹介されて来なかったのか。

イスラム建築の魅力の紹介が今まで全くなかったわけではないが、日本ではほとんどマックス・ヘルツの魅力が紹介されてなく、ローローさんの記事は、その意味で画期的だと思う。神殿と王墓で終わったかもしれない今回の旅に、大きな新たな魅力を発見出来たことに感謝したい。これからご覧いただく写真に合わせて、ぜひローローさんの記事を一読してみることをお勧めしたい。

とはいうものの、まず行ったのは、日本人観光客も訪れる比較的有名なムハンマド・アリモスクだ。
これにはマックス・ヘルツは関わっていないが、比較対象として見ておきたい。

今朝はナイル川クルーズ船を早朝チェックアウトして、ルクソールからカイロへ空路戻ってきた。同船した日本人ツアー客の皆様は、我々より一足先にカイロに向かっている。

カイロ空港で、ツアー初日のガイドのアボさんと再会した。なんだか懐かしい気分だ。

「ナイル川クルーズ船は良かったですか?」とアボさんが訊くので、我々も「王墓や神殿に大変感銘した」と伝えた。昨日までのガイドのハキムさんの話になって、アボさんが「彼は良いガイドでしょう」と言うので、「ハキムさんは先生みたいだった、レリーフを示しながら一度話したエジプト神話の神様の名前を二度目に間違うと不機嫌で、さぞかし出来の悪い生徒で困ったことだろう」と答えると笑っていた。

アボさんの案内で、シタデルに到着。
シタデル内部にあるムハンマド・アリモスクに向かう。

ムハンマド・アリモスクは高台の
シタデル(十字軍の侵攻を守る城塞)内
にある
入り口の扉は、いたってシンプル
右の時計台は、ナポレオンに送った
オベリスクの返礼品だが、動いてないし、
こんなもの?いらなかったという感じ!が
するのは私だけだろうか?
トルコ風だそうです
確かに眺めは良い


次にスルタン・ハッサンモスク

エジプト人ガイドのアボさんが個人的に一番好きで我々にも見せたかったモスクだそうで、1363年に完成。
石材はエジプトのものが使われていると説明を受けた。ピラミッドの表面の化粧板を流用したという話もあるらしい。
その後年月を経て1900年初めにここを修復したのは、マックス・ヘルツである。

外観は渋い
入り口から見上げる
角度を変えて、また見上げる
入り口付近
床のモザイクも渋い
八角形の水場


次はスルタン・ハッサンモスクの隣の
アル・リファイモスクである。
これはヒルミー2世の命を受けてマックス・ヘルツが建築し、1912年に完成した。
建築時期がスルタン・ハッサンモスクの5世紀ほど後の時代とは感じさせない。二つのモスクお互いを活かし合っている佇まいだ。

アル・リファイモスク
左がスルタン・ハッサンモスク
入り口
入り口天井部
上を見上げる
木製扉の装飾が素晴らしい
パフラヴィー2世の墓
天井まで細かな造形美
あんまり扉ばかり撮るから
ガイドのアボさんに呆れられた
ファルーク王の墓
ステンドグラスも細かい
木製扉はどれも素晴らしい
イスマイール副王の墓
ホシャールの墓
ちょうど祈りの時間だった
二つのモスクが寄り添っている

ガイドのアボさんに訊くと、
最初に入ったムハンマド・アリモスク以外の
スルタン・ハッサンモスクと
アル・リファイモスクには
日本人はほとんど訪れないそうだ。

でもこれだけの美しいモスクだ。
訪問する価値は絶対ある。

モスクの造形美を堪能した我々は、
昼食を取った。
だいぶ食べ慣れた、いささか飽きてきたエジプト料理のバイキングだったが、とても美味しかった。

Bonne Soiree Restaurantsの入り口


午後はツタンカーメンの黄金のマスクがあるエジプト考古学博物館に行った。
ツタンカーメンのマスクは、写真撮影禁止だったので、マスクの写真は無い。
ガイドのアボさんの説明を受けながらの見学は慌ただしく、明日からはガイド無しの自由な旅なので、明日1日エジプト考古学博物館にいても良いと思った。

エジプト考古学博物館
書記官の像
カーアペルの像
世界最古の木像
召使いの木像
後ろ姿
生きている時に造った像は
左足を前に出している
カノプスの壺の容器
内部が装飾された石棺
ハトシェプスト女王の像
ツタンカーメンの儀式用の玉座
カノプスの花瓶を祀る神社

エジプト考古学博物館を取り敢えず見終わってから、ハンハーリ市場に行った。ガイドのアボさんととあるお土産物屋に入ったが、これといったものがなかった。

これで5日間の現地ツアーが終了した。
ガイドのアボさんは我々が今晩から泊まるホテルまで送ってくれた。

午前中行ったエジプト考古学博物館のそばの小さいホテルだ。

思い起こせば、1992年、我々は5月から約80日のヨーロッパ旅行に出かけた。今から30年以上前のこと。シャワー付きの個室のホテルには泊まれたけれど、安ホテル探しながらの旅だった。今となっては、懐かしい思い出だ。
今回退職してエジプトに来たけれど、30年前の、あの自由な時間を旅で取り戻したかった。だから、あの頃泊まったような小さなホテルに泊まりたかった。

ヘリテージホステルに着いた時は、ガイドのアボさんは、少しびっくりしたようだった。ナイル川クルーズ船に乗り何十万円も払う日本人が泊まるホテルかいな?という感じ。それでも心配してくれて、ホテルのフロントまで付いてきてくれた。やれやれ、やっとチェックインできる。

ところがフロントで名前を言っても予約が無い!と言われた。
そんなバカな!
おかしいなあ、ちゃんとオンラインで予約したのに、とスマホの画面を見出したら、アボさんが「ホテルが違う!」!!!
一つ上の階もホテルで、間違って入っちゃった!ようだ。
スーツケースをゴロゴロ引っ張って古ぼけたエレベーターで一階下り、無事ホテルに到着しチェックイン出来た。アボさんも携帯番号を教えてくれて、「明日からでも何かあったら連絡下さい」親切に最後まで心配してくれた。

この建物の3階
写真は次の朝に撮影
ホステルの怪しい?入り口
時々止まるエレベーター
階段の吹き抜け
フロント兼ロビー兼朝食用食堂
ここから朝食が出てくる
奥の部屋はドミトリー

明日からツアーではないから、24時間どのように使おうと自由だ。
ツアーは行きにくい所へも効率的に行けるから、それは長所なんだけれど、なんだか日程が決められて、だんだん旅行が仕事みたいになってくる。それでは本末転倒だ。
明日からは、自分たちが決めたスケジュールで行ってみよう!30年前の、あのときのように。2人とも新しい気分になってきた。

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