育ちが悪い=悪い子に育つのは違うくない?と思う話
とある、有名な映画を見た。
話はすごく面白かったので、タイトルを言いたいのだけど、この後話すことを考えると、これから見たい人にネタバレになるので、伏せたい…伏せたいから…
伏せるけど。(伏せるんかい)
私は、ある一定のパターンを見たときにどうしても引っかかってしまことがある。
それがタイトルの通りなのですが…
ある凶悪な犯罪を映画にしたり、
少年院に入ってましたといったり、
そういった題材には、ほとんどのように背景に毒親、貧困などの劣悪な家庭環境が描かれるケースが多い。
私はいつもこの状態を疑問に思ってしまう。
「育ちが悪いからといって、必ずしも悪い子には育たないぞ…?」と。
私は、お風呂のない長屋で育った。
そして、何度も警察沙汰になり、地元を追放されるような毒親の元で育ったけれど、反抗期もなければ、グレる選択をしたこともない。
学校で遅刻もしたこともなければ、授業をサボったこともなかった。
(なんなら家出をしても学校には通っていた。洗濯していない制服で。笑)
そんな経験から、グレる、犯罪を犯す、迷惑をかける行為と、育つ環境の劣悪さを安易に結びつけないでほしいと思ってしまうのだ。
もちろん、人によっては家庭環境が酷いことがきっかけでグレてしまって、犯罪行為に至ってしまうことも想像はできるのでそれ自体を全く否定したいとは思わない。
実際に自分の幼なじみも家庭環境劣悪で、ネグレクトで、最終的に犯罪行為をして蒸発して行方不明になっているから、全然あり得ることだと思う。
ただ、ある物語の中で、「凶悪犯罪を犯した犯人の過去を描くときに、だいたい彼らは家庭環境悪かったよ」という流れが多くて、その安易な発想にうんざりしてしまうということだ。
その作品の作者の「豊かさゆえの想像力の乏しさ」が透けて見える気がしてしまう。
私なんかの素人の考察だから、その予感は外れているんだろうけれど…。
つまり。(考え込み中…)
つまり、多分私は、私自身で私の環境を、育ちを否定したくないのだと思う。
そして、多分私は悪人ではない。
どっちかというと優しい人の部類だと思う。
だから「育ちが悪い=犯罪者、悪い子に育つ」の安易な流れを量産するのはやめてくれ…と思ってしまう。
世の中には、育ちが悪かったとしても心の優しい人は死ぬほどいる。
「悪い子に育つかどうか?」は、どんな環境かはそこまで重要じゃなくて「結局その子次第じゃないか?」と思うのだった…。🙄
(犯罪などのきっかけの統計とか調べてみたいところだけど、とりあえず今日はここまでで…。気が向いたら統計とか加筆するかもしれません…😴)