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アムステルダム大学の雰囲気と「都市と人」|都市を学ぶ①

8/20にアムステルダムに着いてから1ヶ月がすぎ、大学の授業もついに3週目に突入。最高気温が20度を下回る日も増え、こちらはすっかり秋になりました。今回はアムステルダム大学(UvA)についての第一印象と、社会学の授業を通して考えたことについて記録しています。

Study Hard, Play Hardな学習文化

前回のnote「I amsterdam! アムステルダム生活の始まり」で触れた通り、パーティー文化・自由時間をしっかりがっつり楽しむ学生たちの一面を先に見てしまった私にとって、彼らの勤勉な姿には本当に驚かされました。

授業で出されるReading(文献閲読)のために私は朝9時くらいから大学に行くことが多いのですが、この時点で自習エリアには先客がちらほら。10時半ごろに私が教室へ移動する頃には、個人・グループにかかわらず自習エリアはほぼ満員で活気に溢れています。お昼頃には1人席さえ見つけるのが困難なほど。

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↑10時台の自習エリア。左側のグループ学習用テーブルも全て満員でした

早稲田大学に3年半通っていた私ですが、期末でもない(なんなら学期の始まり)朝から自習エリアが満員になるなんて、少なくとも戸山キャンパスでは見たことがありません。

毎日アムステルダムに恋に落ちていますが、UvAの学生の姿を見て私は完全にこの街に惚れ込みました。

UvAの授業ってこんな感じ

さて、なぜここの学生たちはこんなに勤勉なのか? その答えは授業から垣間見えた気がします。

私は今学期のBlock1(一つの学期が3つのブロックに別れており、それぞれ8/8/4週間)では"Cities and Change"と"Dutch Problem, Dutch Solutions"の二つの授業をとっており、前者は100人を超える講義が週2回、後者は15人ほどの少人数講義が週1回あるので週に3回大学に行っています。(ちなみにこれでも単位数はMax。)

3つの講義でそれぞれ15~30ページほどのReadingsが2〜3つ、"Cities and Changes"ではそれに加えて毎週グループで800単語ほどの提出物が求められます。正直なところ、朝晩頑張っても私はReadingsを全て読めていません….。

もちろん先生方は学生が文献を読んだかなんて確認はしませんが、講義中で学生は積極的な参加を期待されます。

大人数講義での私の(みんなの?)お気に入りのインタラクションツールが、mentiです。

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講義中にさっと撮ったものなので少し切れていますが、このように質問が出されると学生たちはmentiというサイト上で匿名で答えを書き込むことで、リアルタイムでみんなの回答が表示されていきます。同じ回答が複数あるとその単語はどんどん大きくなります。このライブ感がたまんない。

しかしながら、mentiを使った講師と学生のやりとりがいつもあるとは限らなく、その場で挙手して発言を求められることの方が圧倒的に多いです。

さらに専門性の高い講義ではある程度の基礎知識が必要とされることが多く、それが英語の専門用語と組み合わさると私はいつも脳が思考停止してしまい、日本ではバンバン意見を言うタイプなのにこちらではなかなか発言に踏み切れません…。今週ようやく大人数講義の方で発言できたときには謎の達成感に満たされました。

他の学生はというと、基本的にみなさん積極的で、意見を言うだけでなく鋭い質問で講師を驚かせる場面が毎週見られて面白いです。そして休み時間に質問に押しかける学生に囲まれ、休憩を取れない講師方がなんだかんだで嬉しそうにしている姿も微笑ましいです。

日本の大学とは違う、こうしたインタラクティブ性の高い授業スタイルが、勤勉な学生たちを生み出しているのかなと感じています。

都市と人について、初回の講義で考えたこと

授業の3週目も終わりに近づいていますが、初回の”Cities and Change”の講義で考えたことが社会について考える上で常に付き纏って来る気がするので、自分の学習ログとして記していきます。

「都市」と聞いて、何を思い浮かべますか?

イントロダクションに相応しく、こんな問いを最初に投げかけられました。

講師曰く、学生たちの今までの答えを集計すると、「人」に関係する単語が圧倒的に多かったそうです。

しかし、人がいればそれは都市なのか?

もちろんそうではありません。

意外なことに、学生たちの回答の中には「建築物」が欠けていたのです。

古代文明が現れ始めたときにも「人」はいましたが、「建築物」はありませんでした。確かに世界史で習ったメソポタミア文明、長江文明あたりを思い返しても、それらはまだ「都市」ではありませんよね。

と言うと、人がいて、建物ができて、そのうちに都市ができたように考えられますが、現代社会を見てみると、私にはどうも順番が入れ替わっているようにも思えてくるのです。

例えば自転車移動が盛んなアムステルダムですが、人々が自転車移動をするから街の建築物が規則正しく並んでいるのかというとそうではなく、運河沿いにこじんまりと建物が整列してるから人々が自転車移動しやすい都市になったはずです。

このことについて考えるとき、1年生時に日本の大学で受けたデザイン論の授業に出てきた「社会決定論」「技術決定論」がいつも思い出されます。

社会決定論とは、私たち社会に生きる人々が必要としているから新たな技術が生まれると言う考え方で、技術決定論は逆に、新しい技術が私たちの社会(日常)行動を決定すると言う考え方です。

よく使われる例で言うと、人間がスマホを必要としたからスマホが誕生したのか、それともスマホが誕生して私たちの生活や行動を変えたのか(例えばスマホでアラームをかけるとか、指で画面をスワイプする動作が片手の拳を耳に当てる”電話”ポーズにとって変わったとか)。

……と、言いたいことがうまく伝わっているのか全く自信はないのですが、とにかく鳥が先か卵が先かみたいな問題っていろんなところに応用できるのだなぁと面白く感じたと言うことです。

あれ、なんか着地点が違う気がする。

言い訳をさせてもらうと、中国の中秋節を祝ったり趣味のオーケストラに参加したりインターンをしたり課題やReadingをこなしているうちにどうやら寝不足が続いてしまったようで、思考回路がショートしております。

2回目にしてまさかのほぼ1ヶ月ぶりのnote。我ながらにこんな予定ではなかったのに…。

情けない。

記事のネタはちゃんと溜まっていることもあり、これからはできれば月に2本は書きたいので、ここに宣言して自分へプレッシャーをかけておきます。

ではまた!

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