スーパーサプライズな土曜日
ながーいお付き合いのお客さま。
長らく日本画を描いてこられていて、90歳(!)の記念に、個展を開催されました。
ご案内をいただいていたのだけれど、春休みとドンピシャで、行けなさそう…と思っていた。
今日、早めに仕事を切り上げて、午後から時間が出来たらので急遽向かいました。
しかし、個展開催直前に体調を崩され、自宅療養されているとのことで、お会いできず…。
お仲間さんのお話を聞かせていただきながら、すっかり長居してしまいました。
私はアートには全く造詣はなく、なーんにも分からないです。好きだけど。
美術館はたまに行きますが、ギャラリーやアトリエを巡ったりすることはなくて、そういった場所へは招待いただいた時に顔を出す程度です。
そろそろ失礼します、と帰路につこうとした時
なんと、高校時代の恩師が入ってきました。
街中の、小さなギャラリーで。20年ほど前お世話になった先生に。
それはもう驚きました。4度見して、声を掛けた。
先生は、美術教師であり、担任でした。部活動の顧問にも。
担任してくれてた頃、50代?だったのかな。
当時、私はダンス部に所属していました。しかし、ちょいと問題児が多かった。
先生たちから嫌われていたのは肌で感じていたし、誰も顧問になってくれなくて、存続の危機だったけれど、みんなでお願いしに行ったら引き受けてくれた🥹
担任のよしみもあったんだろうな。渋々だったのかもしれん。
しばし問題を起こす、尖りたくて仕方ないお馬鹿な女子高生だった私は、しょーもないことで停学処分を受けて非常に迷惑をかけました。
だけど、庇ってくれたんだよね。
今思い出しても笑える庇い方で、だけど、嬉しかったなぁ。鮮明に覚えている。
親とぶつかりまくっていたあの頃、それなりに楽しく過ごしていたとは思うけれど、自己肯定感はすこぶる低かった。誰かに必要とされたくて、自分のことが嫌いで、周りのみんなが羨ましくて、自分を呪っていた。
卒業式の日、先生は「君に出会えてよかった」という言葉をくれた。
それは、あの頃の私にストレートに刺さった大人からの唯一の言葉だった。
初めて、存在を肯定してもらえたような。
極端に言うと、生きていてもいいと思えたんだよ。
何度も何度もその言葉に救われながら、生きている。
当時は、担任に顧問にお世話になって、大変ご迷惑をお掛け致しましたと少し大人になった今日、伝えることができた。
先生は、「あれはあれで楽しかった」と言っていた。大変だったんだろうなぁ😂
10年くらい前に、何かの拍子で先生から電話がかかってきた。
電話帳の整理をしていたら、懐かしくなってかけてみた的なことだったと思う。
何で電話番号交換してたのかは分からないけど、他の先生の番号とかも登録してあるしメルアドも交換してたから、その時代の私の周りでは、それが普通だったのかもしれん。
電話をした頃、ちょうど年末だったのか、それをきっかけに年賀状のやり取りが始まった。私から先生の住所を聞いたように思う。
去年、先生も出展されている絵画展が京セラ美術館であって、案内をいただいた。
顔を出したけれどその時には会えなくて
だけどそこに確かに先生の書いた絵があった。
微かに、確かに、繋がりがあるけれど、顔を見るには至らない。そんな関係性だった。
で、今日、ついに、絶妙なタイミングで会えたわけだー。
どうやら先生は、退職後違う場所でも美術を教えていて
個展を開催されたお客さまは生徒さんだったとか。
そんな奇跡のような人と人との繋がりを感じた1日の終わりに
「必要なご縁は必ず巡ってくること」「いつかまた繋がること」を、実体験を持って理解しました。
こんな話を、お客様にも聞いてもらいたいなぁ。
と思いながら、不思議で確かな現実を、噛み締めています。
最近娘がレンタルしてきた「君の名を」のDVDが車内でエンドレスリピートされていたのですが、「ムスビ」の概念を理解しました。(十八番の脱線で終わります)
必要なご縁は、どこかで繋がり続けているんだなぁ。
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