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タイトル未定の140字連載小説

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タイトルの通りです。140字連載小説にチャレンジしていますので、それらのつぶやき記事をまとめております。
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結局のところ、真の満足感というのは記憶を想起することでは味わえないようにできているのかもしれない。もし味わえるのなら、一度体験すれば肉体は不要で精神だけあれば良い、ということにもなりそうだ。だが創造主は、そうは創らなかった。記憶ではなく、存在が現実にあるということの意義が大きい。

味だけのことを考えれば体感を伴って思い出せる方が雲丹は減らなくて済むかもしれない。だが栄養の問題とかもあるのだろうか。実際に食べなければ得られないものがあるのかもしれない。ちなみに雲丹を代表例に話をしているだけで、他の食用の何かにもあてはまる話だ。単に僕は雲丹が好きということだ。

なんだその発想は、と思われるかもしれないが、もし、体感も一緒に思い出せる装置にできていたら、雲丹を一度食べさえすれば、僕のために犠牲になる雲丹は一匹で済んだ。食用の生物に対して、犠牲という言葉はふさわしくないような気もするが、食べられる方からすれば実際そうとも言えるから仕方ない。

基本的には何でも思い出せる装置にしたつもりだったが、根本的な欠陥があったようだ。そこまで言わなくても良いのかもしれないが、本当に何でも思い出せる装置にするのなら、体感を伴った実感さえも思い出せるようにすべきだった。良い意味でも悪い意味でも。何度でも、雲丹が食べられたかもしれない。

もしくは、脳の想起を抑制する作用が働いているのかもしれない。思い出した時に実感を伴っては、脳にとって、ひいては僕にとってダメージになるようなことは、思い出せても実感が伴わないということなのか。でも逆に、とても思い出したい感覚、例えば好きな食べ物の味なども、実感は伴わない。なぜだ。

確かに、この頭につけている装置は自分が作ったものだと認識し、記憶している。しかし、仮に、装置が故障していたり、設計上の誤解などがあって、正しく記憶が想起されないとしたらどうだろう。僕が思い出していることは、全部、思い込みということにならないか。記憶に実感が伴わないのは、それでか。

頭につけている装置のおかげで、記憶を取り戻しているが、そうでなければ、37歳になる誕生日の前夜から一気に67歳まで歳をとってしまったことになる。30年、失ったのと同じだ。そんなので、未来に期待できるわけがない。記憶こそあれ、実感が伴わない。本当に記憶の数々はあった事なのだろうか。

良かったことだけ思い出して、やけに年老いた気持ちになる。どこかで聴いたことのある歌のフレーズだが、まさにその通りだと思う。あの頃は良かったなぁ、なんて振り返るのはどことなく未来に期待していないような感覚とも捉えられる。今の僕なんかまさにこの状態だ。懐かしんでばかりで先が見えない。

かと言って、当時の自分が何を書いたのか、今、読み返す気力はなかった。読めば、自分のことがわかるかもしれない。でも、頭の装置があるから、小説の内容は思い出せなくとも、自分の過去の思い出は、だいたい思い出せる。全部思い出すには時間がかかるがそんなことをする必要はない。都合の良い奴だ。

その原稿用紙の文章は、140字単位で小節となっており、小節ごとに第何話とタイトルがつけられていた。小説をこんな細かく刻んで書いていたのは、当時流行していたSNSの仕様に影響を受けたからだ。その小説は、ちょうど第百話まで書かれていた。不思議なことに小説の内容までは思い出せなかった。

タイトル未定の文字を見て、頭につけている装置の効果もあって、その原稿用紙がなんなのか、すぐに思い出した。僕が書いた小説だ。いや、正確には小説と呼べるような代物ではなく文章の羅列のようなものだが確かに自分の書いたものだ。過去に小説家か作家になりたいと思い、日々書き綴っていたものだ。

意識を取り戻してからどれくらいの時間が経っただろうか。危篤状態に陥っていた割にはいろいろ頭の中を考えが巡っていた気がする。考えがまとまらないのは仕方ない。看病してくれていた妹が、僕がだいぶ落ち着いたのを見て、束になった原稿用紙を渡してきた。1枚目には、タイトル未定と書いてあった。

はぁ、一体、僕は何を考えているんだ。こんなこと考えても、答えなんてわかりようもないのに。いつもこうやって考えるだけ考えて、結局、答えが出ない。僕がもし、小説の主人公だったら、作者に文句を言うだろう。小説だったら、解ける謎を考えさせろ、と。人の心を弄んで、楽しいのか、と。僕は誰だ。

イヌの定義があらかじめ決まっていて、それに照らし合わせて現実に存在する生物についてイヌかどうか判断することはできるかもしれない。だが、定義を生み出すというのは、全く別次元の話である。一体、定義とは、どのような過程を経てなされるのであろうか。イヌをイヌと決めた人に直接聞いてみたい。