「〜すべき」ではなく、「好きか嫌いか」
休職中するついこの前まで、
「目的や信念がなければならない、それこそが良い生き方だ」と思っていました。
でも、休職してゆっくり自分の感情と感覚に向き合っていると、だんだん力が抜けてきて、気づきました。
私はただ「計画を立てて、その計画通りに行くこと」が好きな人だったんです。
結局、最後は「好き嫌い」に行き着くんだなと思いました。
哲学を勉強した時もそうでした。
過去の偉大な哲学者が「〜べき」という理論を作ってきて、それを勉強をします。
「どの思想がどのように好きか、
その上で自分はこの部分はこういう風に違って、こういう考え方がしっくりくる」
もの凄い乱暴にざっくりいうと論文ってこんな感じです。
最終的には、どの思想が自分にフィットするかが重要なんです。
「世の中の真理」を解明しようとするのが哲学です。
多分「世の中の真理」はあると思うんです。
でも、それは広大で膨大でとにかく大き過ぎて、
その全体を理解するってなかなかのことで。
結局、大きすぎる真理の「ここが好きでここが嫌い」みたいに、部分的に受け容れることしか、
人間にはできないんじゃないかなぁと私には思えます。
「〜べき」よりも、
最後は、「好きか嫌いか」です。
最近の私はその好き嫌いを感じる力を大分失っていたけれど、取り戻せてきています。
自分の好き嫌いの感覚を研ぎ澄ませて、
それに委ねることが出来る様になりたいものです。
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