他人との距離感の考え方
「人との距離感を掴むのが苦手」と思ったことはありませんか?
私はまさにそうでした。
「私が心地良い距離感」ってめっちゃくちゃ近いんです。
イメージ、鼻先と鼻先がくっつくくらい笑笑
友達でも家族でもパートナーでも、
なんでも包み隠さず話せる関係なんです。
幸い、何人かですけど、そんな友達がいるのでとても有難いです^_^
私は「嘘」が嫌いで、本当の私を受け入れてくれる人とだけ友達でいればいいと思っていました。
でも、そうではない人が多いじゃないですか?
裏で悪口を言ったり、心にも思っていないことを言って調子を合わせたり...
私はそんな人たちのことを「可哀想な人たち」ってどこか見下すように思っていました。
それは本当の友達ではないと思うからです。
何でもかんでも開けっぴろげに話をして、
それを受け入れてくれる人が好きでした。
しかし、会社に入ったら、自分の全てを受け入れてくれる人は当然ながらいません。
会社で私は、周りの目を気にして、
自分のありのままを受け入れてくれないことが肌感覚でなんとなく気づいていて、
どのように振る舞えば良いか分からず、
とにかく嫌われないように、そしてどう思われるかを気にしてばっかりいました。
それは、私にとって居心地が悪かったんです。
休職する直前に、
「自分を受け入れてくれる場所」が欲しいんだと思い至りました。
その時は単にこの会社にいる人たちが「心地良い距離感」が自分とは違う、かわいそうな人たちなんだと思っていました。
私を受け入れてくれる場所は別にあるはずだと。
しかし、休職して、
自分を大切にするする生活をして、
カウンセリングに通う中で、気づきました。
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「自分が受け入れられる場所を探す」のではなくて、
「自分を大切にした上で、どう社会と折り合いをつけるか」という視点で考えれば良い。
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私が休職することになったのは、
「これ以上ここにいると自分が壊れてなくなる」
「自分が自分でなくなる」
そんな感覚に陥ったからでした。
今思えば、会社で周りの目を気にしているうちに、どんどん自分がすり減ってなくなっていたんですね。
私が「かわいそうな人達」と思っていた人は、
自分を大切にしていたんだと思います。
自分のために、
どう振る舞えばその社会でより自分の利益を最大化させることができるか、
賢く、時には反射的に、判断して行動していたんだなと。
すごい具体的なことにも現れていると思うんですが、私は化粧が嫌いなんです。
化粧って嘘だから。
でも、ここで言うと、化粧はまさに社会との折り合い、なんですよね。
正しさとか、それが嘘かどうかとか、
そんなことどうでもよく、
ただ、自分の利益のため、自分が社会と上手くやっていくため。
もちろん、自分をさらけ出せる友達や家族はなににも代えがたいので、そのままの自分でいようと思っていますが、
今の私には、もっとそういうふうに、
賢く、自分に忠実になって良いのかもしれないと思いました。
そうすると自然と他人との距離感は取れていくはず。
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