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失敗を経験にできなくても。ー未消化の思いを抱えながら生きることー


「失敗は経験だ」


この言葉に今まで何度も助けられてきたし、一歩踏み出す勇気をもらってきた。だから仕事やプライベートで何かやらかしたとしても、まるっと全部経験に変えれる自分でいたかった。



だけど何年経っても経験に昇華しきれない失敗がある。




そんな失敗があることすら認めたくなかったけど、「これが今の私だ」と思うことができるようになったので、そんな心境の変化について書いてみようと思う。


失敗の記憶


その失敗は今から5年前〜3年前まで、合計2年間の出来事だ。



よし、当時の詳細を書いてみるか!と意気込んだけれど、どうにも書けないことが分かった。


書こうとすると、胸がきゅっと痛んで手が止まってしまう。



ああ、まだまだ昇華しきれてないんだなあと改めて実感している。




この2年間の中で、私はたくさんの人に出会った。



その人達は私の知らない世界を教えてくれたし、知的好奇心を満たしてくれたりもした。


当時、自分には抱えきれないほどの物を背負っていた私にとって、その世界こそが希望で、心の拠り所でもあった。


だからこそこの世界を他の人にも見せてあげたいなあと思った。できることなら、一緒にいれたらなあとも。



勘の良い人なら、これだけで、私がどんな失敗をしてきたかが分かるかもしれない。





けれど私が言いたいのは、この人たちと出会ったこと、この世界を知ってしまったことが失敗、ではなく、それを押し付けようとしてしまった自分の弱さや醜さによる行動が失敗だったということだ。




自分が普段どんな信念を持って目の前の出来事と向き合っているか、周りの大切な人たちに接しているか。



「在り方」という言葉もあるけれど、私にはこの部分が欠けてしまっていたなと振り返ってみて思うのだ。



だから正直、今でもこの経験に関連するワードを見つけたときは、当時のことを思い出して胸がきゅっと痛くなる。



もう3年も経つし、気にしてるのは私だけだと思えれば楽になれるのに、なんて思ったけれどちっとも思えやしない。




なんて、そうこうしているうちにも日々のやっちまった失敗談は経験に昇華されていっている。



5年前にお客さんにメーカーの原価見積を送ったことなんて今では笑い話だ。(もう二度としない)



時間が経っても、全然昇華できなくて、むしろどんどん深いところまで沈んでいくようで、このままじゃ自分は前に進めないんじゃないか、ずっとあの頃のままなんじゃないかと思うと、焦りしか浮かばなくて。



だからこそ「失敗は経験だ」という言葉を頭に刷り込むことで、どうにか昇華させようと試みたのだけど、何十回何百回やってもダメだった。




「この経験に関連するワード」を見かけるたびに、するすると当時の苦い記憶が蘇ってくる。



結局後付けの刷り込みは、強烈な失敗の前では無力だったのだ。



だから私は諦めた



正直、自分の意思では無理だと思った。

だったら、誰かに相談したり、助けてもらったらいいんじゃない?とも思った。思ったの、だけど。



つい先週くらいにふと、「これは本当に今、克服しないといけない事なのか?」と思った瞬間があった。



その瞬間は「何を思ってるんだろう」と一蹴したけれど、日を追うごとにますますそんな気がしてきて




そして今、「絶対何がなんでも昇華させてやる!!」という気持ちが不思議と無くなっている自分がいる。



もちろん、いつの間にか昇華されてた〜〜というわけではない。



現に昨日、関連する言葉に触れたら胸がきゅっと痛くなったし、「ああ、あの時なあ・・・」ってその時の記憶がぶわあっと押し寄せてもきた。




だけどぶっちゃけ、私はそれで倒れたりしない。




ほんの少しだけ立ち止まることもあるかもしれないけれど、大好きなコーヒーを飲んで、少し距離を置けば、またいつもの自分になれる。




だから今は、自分のマイナスな感情、消化しきれない思いをまるごとすべて克服しなくてもいいと思えるようになった。



ってこんなことを言うと、「それは逃げだ」なんて言う人もいるかもしれないけれど、

人生には必要な逃げだってあると思う。



むしろ逃げずに抱えて、抱え込んで、動けなくなるよりよっぽどマシじゃないか、とも思う。



だから、私はこれからもこの経験を抱えて生きていくと決めた。



いつかなんにも気にしなくなる時が来るかもしれないし、来ないかもしれない。




でもそれでいい。





だからもしあなたも、「失敗を経験にできないな」「なんかもやもやするな」って思っているのなら、いっその事もうまるっとそのまま持っててもいいと思う。





もし倒れそうになったら、その時に考えよう。

そのくらいの気持ちで、ちょっと小脇に抱えたまま生きていくのも、悪くないと思うのだ。





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