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ギターヒーローはいらない



 一番好きなバンドマンが死んだ。音楽は死なないなんて甘言はなんの救いにもならない。

 なんの救いにもならないことを知った。人生には確実に知らなくてもいい痛みがある。これは絶対にそれだと思う。こんな痛みは知りたくなかった。痛みを知る人しか誰かに優しくできないとしても、この痛みを知らずとも周りにも自分にも優しく生きていける。
 本当は「痛い」のかどうかも分からない。とにかく「もういない」という事実を繰り返し繰り返し自分の中で呟いてアウトプットして、結果飲み込みどきを失ったホルモンみたいにずっと口の中にいる。飲み込めない。飲み込んだとして消化不良に陥るのはわかっている。
 痛いのか?空虚なのか?なんなんだろう。とにかく、もういないという事実を噛むと涙が出てくる。もういない、もう絶対に会えない、あの音は聞こえない、あの笑顔は二度と見れない、もうこの世に肉体がない、もうどこにもいない。新たに音が生まれることは絶対にない。すべてが当たり前で、すべてがあまりにも受け入れ難い。

 なんで死んだの?

 答えのない問いが気を抜けば頭を巡る。なんで死んだんだ。ばか。生きてさえくれればよかった、その「さえ」さえもがなくなってしまった。すがれる唯一がもうない。叶ってほしいたった一つの望みなのに。

 音楽は死なないからなんなんだ。タップして再生して、そこにギターとコーラスが鳴るから、あの人の作った音が鳴るから、だから永遠なんて馬鹿げている。
 音楽が生き続けるから、なんなんだ。じゃあ音楽を作らない人が死ぬよりも寂しくないってそんなわけない。馬鹿げている、すべてが。

 なんで死んじゃったんだろう。
 
 なんか、言葉のすべてが呪詛になりそうで生まれて初めてYouTubeのコメントを書いた。あの人が最後にくれた曲。久しぶりにMVを再生したらあの笑顔で笑ってて、もう一回泣いた。
 彼の全てがひかりの中にはあるように、彼が死ぬ約3週間前に祈っていた。笑っていてほしかった。インスタのフォロー欄からアイコンを探して、いなくなっていないことを確かめてそっとなぞっていた。そのころにはもう、いなかった。この世界のどこにも。

 どうして死んじゃったの。
 
 また会おうとしてくれていたらしい、最期まで前を向こうとしていたらしい。それを真実と信じて生きていこうってがんばるけど、もう土台が壊れてしまったのかな。すぐに崩れそうになってしまう。「生きていること」ただそれだけでよかった。いてくれるだけでよかった。そういう当たり前のことに気付くのは、思い出すのは、いつも誰かがいなくなってからで、自分があまりにも馬鹿でいらついてしまう。
 お誕生日おめでとうって言えばよかった。いつもみたいにストーリーは作ってたのに押せなかっただけだった。重荷になってしまうのが怖くて。でもそれは全て言い訳に過ぎない。
 生きていてほしかった。また好きだって言いたかった。次は直接ちゃんと目を見て言いたかった。いつもの言葉で伝えるから、いつもと同じ笑顔で「ありがと〜」って返してほしかった。ほら、全部が過去形になってしまう、それが嫌だ。現在形でまだ愛しているのに。
 言えなかった後悔は雪みたいに積もっていく。後悔はちゃんと先に立ってわたしを叱ってくれないと困る。

 冥福の意味なんて知らないし、祈り方も分からない。死後の幸せを祈ることになんの意味があるのか本気で分からない。安らかな眠りって何?全然いい子じゃないし聞き分けばっかり悪いから、すぐにここに帰ってきてしまう。本当は、5人でずっとステージに立ってほしかった。あそこで笑っててほしかった。それが揺るぎない永遠だと信じていた。そうじゃなかった。

 でも永遠はある。わたしがあの人の音を愛し続けるから、ここに永遠はある。この愛を永遠にする。そう信じてないともうどうにかなりそう。



 ねえ、亮太さん。亮太さんのギターが宇宙で一番かっこよくて、亮太さんのコーラスが宇宙で一番きれいで、亮太さんのことが宇宙で一番だいすきです。
 この思いは天国に持っていけますか?
 さよならの仕方を教えてくれなかったわたしのギターヒーロー、どうか教えてください。

 もう、あなた以外のギターヒーローは永遠にいらない。

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