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【長編小説】#13「私の生まれ変わりは、君がいい。」

《向日葵の奇跡》

「やっほー!灯莉ちゃん、もう来てる?」

 ドアが開き、明るい声が飛び込む。同時に、陽の光が差し込み、柔らかい春風が舞い込んできた。
 今日も彼女の左側には、真っ白で、おとなしい、ラブラドール・レトリーバーがいる。穏やかな顔をしつつも、いつも凛とした雰囲気で、私の目には気弱そうだなんて映ったことは、一度もない。
 その姿は、まるで彼女を守るボディーガードのようだった。

 この子は自分が守る。

 全身で、そう言っているようだった。

「君の友達ならもう来てるよ。ちょっと遅刻なんじゃない?」

 お兄さんが、やれやれというように言った。

「そんなはずない!ちゃんとぴったりなはず!今何時!?」

「15時35分。」

「嘘!?5分遅刻だった…。ごめん、灯莉ちゃん…。」

 言いながら、私たちの方へ歩み寄る。
 さっきの元気はどこへ行ったのやら、途端に彼女はしょんぼりとする。

「全然大丈夫だよ。5分なんて誤差だから。」

 そう言うと、彼女の顔がみるみる明るくなった。

「今日は敬語じゃないね。」

 そう言って、ニカッと笑った。
驚くほど眩しかった。まるで向日葵の花が咲いたようで。
 嬉しいという感情が、こちらにも伝わってくる。つられて私も微笑んでいた。

「灯莉ちゃんさ、電話で連絡取り合ってたときは、まだちょっとよそよそしかったもんね。」

 ふふっと彼女が笑いながら、私の向かい側に座る。
 確かにそうだ。電話で彼女と話していたときは、タメ口と敬語が混じったような、まだ他人との距離感が存在しているような話し方だった。だけど、今自分の口から飛び出た言葉は敬語じゃなかった。完全に、同級生と接しているような話し方だった。全くの無意識だった。
 いつの間にか、私は彼女に心を開き始めていたのかもしれない。単に、彼女のペースにのまれて、口調が移ってしまっただけなのかもしれないけど。
 いや、というより、そもそも彼女がフレンドリーすぎるんじゃないだろうか…。

 彼女をじっと見つめる。
にこにこと笑う彼女を見て、私は思う。
 こんなにキラキラと輝く笑顔が、ついこの間まで存在していなかったなんて、信じられないと。なにしろ、私はこの姿の彼女しか知らない。
 初めて会ったときは、確かにおとなしくて控えめな感じではあったけど、会話をするようになってからは、よく笑う印象だった。もし、今の彼女を見た人に、第一印象は?と聞いたら、きっと「元気で明るい子」と答えるだろう。
 私にとって、それくらい彼女は笑う子だった。

「君、あかりちゃんっていう名前なんだね。」

 私たちのやり取りを見ていたお兄さんが言う。

「あ、はい…。」

「どういう字書くの?」

「“灯る”に、茉莉花(マツリカ)の…草冠に“利”の“莉”で灯莉です。」

「茉莉花って、あのジャスミンの?」

「…はい、そうです。知ってるんですか?」

 茉莉花はモクセイ科で、ジャスミンと呼ばれる。純白の花色で、花弁は小さく、香りが豊かな花だ。
 茉莉花と言っても通じないだろうと思って訂正したのに、まさか知っているとは驚いた。
 男性は花に疎いだなんて、偏見だったな…。

「まあね。こう見えても、花には詳しい方だよ。」

 彼は柔らかく微笑んだ。その優しい表情を見た瞬間、私は思った。

 この人、花が好きだ。

「…あの、もしかして、このお店のお花の手入れも、お兄さんが?」

「え?」

「お店の入り口に、たくさんの花を植えてますよね。どの花たちもすごく生き生きしてて、まっすぐに育ってて、すごく大切に育てられてるんだなって思ったんです。きっと、ここのオーナーは、花が好きで、ちゃんと大事にする人なんだって、ここに来たとき思ったんです。」

 私の言葉を聞き終えたお兄さんは、一段と優しく微笑んだ。そして、

「灯莉ちゃんは、本当に花が好きなんだね。」

と、嬉しそうに言った。

「え?」

「今、すごくいい顔してるよ。」

お兄さんはそう言って、

「きらきらだ。」

と、笑った。

「これ以上にないくらいの褒め言葉なんじゃない?優葵ちゃん。」

 そう言って、彼は彼女の方を見た。

 え?どういうこと?

 彼の視線を追いかけると、その先にいた彼女は、頰をほんのりと赤らめて、少し下を向いて、照れているようだった。でも、とても嬉しそうだった。

「確かにこの店のオーナーは僕だよ。花も好きな方だと思う。でも、店の花を育ててるのは優葵ちゃん。僕じゃないんだ。」

「え!そうなんですか?」

 驚いた。あんなにたくさんの花を、彼女が…?

「っていうか、あの花たちは勝手にこの子が植え始めたんだよ。」

 お兄さんがクスッと笑った。

「ちょっと!勝手にじゃないでしょ。ちゃんと許可とったじゃない。いいでしょ。お花があった方が、絶対いいもの。」

 彼女が冗談っぽく、怒り気味に言った。
初めて見る彼女の姿だった。少し、素の姿が見れたようで嬉しかった。

「うん。あった方が絶対にいい。」

 ふたりが私の方を見た。
無意識に言葉を発していた。だって、本当にそう思ったから。あの花たちは、あった方が絶対にいい。

「だよね。やっぱりあった方がいいよね。」

 そう言って、彼女はまた向日葵のような笑顔を見せた。
 お兄さんも穏やかに笑っている。

「灯莉ちゃん。この子はね、毎日のように花のことを僕に話すんだよ。この花はこんな香りがするだとか、花言葉は何だとか。だから、自然とね、花の知識がついたんだ。」

 照れくさそうにそう言う彼は、どこか嬉しそうにみえた。
 私は彼女の方に向き直る。

「本当に、花が好きなんだね。」

 満面の笑みで言った。
 嬉しかった。私が好きなものを、同じように好きと言ってくれる人がいて。彼女は本当に花が好きなんだと、伝わってきて。

「それはお互い様でしょ?」

 彼女も嬉しそうに笑う。

「そうだね。」

 心がじんわりと温かくなった。雲みたいにふわふわして、不思議なくらい、心地よかった。
 ふとお兄さんの方を見ると、目が赤くなっていた。表情は笑っているのに、今にも泣きそうな瞳(め)をしている。何かを堪えているようだった。溢れそうだった。でも、苦しそうではなかった。すごく、感動して、嬉しくて、嬉しくて、しょうがないという感じだった。まるで、夢でもみているんじゃないないかと、思っているようだった。
 私はその潤んだ瞳の先にいる彼女を見る。やっぱり笑っていた。私は、このとき初めて、お兄さんの話に確信をもった。
 本当に、彼女が笑うことは奇跡だったのだと。

「ねぇ、私お腹空いた!」

 突然、彼女が元気な声をあげる。
 驚く私に、

「灯莉ちゃん、甘いもの好き?」

と、彼女は聞いた。

「え?あ、うん、好きだけど…。」

「ほんと!?良かったぁ〜。ここのケーキ、すっごい美味しいんだよ!」

 瞳をキラキラと輝かせて、踊るような声で彼女は言った。
 と、思ったら、急に真面目な顔になる。

「大丈夫。ちゃんと美味しいから。味は私が保証する!」

 いや、私何も言ってないけど…。

「おいおい、何だよそれ。失礼だなぁ〜。」

 お兄さんが笑いながら言う。

「誰のケーキがまずいって?」

 お兄さんが腕を組みながら、私の方にずいっと顔を近づけた。
 距離が近くて、思わずドキッとしてしまう。

「いや、だから、私何も言ってません…。」

「あはは。ごめんごめん。冗談だよ。」

「ねぇハヤトくん、いつものお願い!」

「はいはい。わかったよ。」

「ハヤトくん…。」

 無意識に私はその言葉を繰り返していた。

「あ、ごめん。僕、名前言ってなかったよね。空賀颯人(くがはやと)っていいます。」

 彼はにこっと微笑み、「じゃあ、ちょっと待っててね。」と言って、カウンターへと向かって歩き始めた。
 が、すぐにぴたりと止まり、何かを思い出したようにこちらに振り返る。

「灯莉ちゃん。」

 突然名前を呼ばれ、びくりとしてしまったが、反射的に「はい」と返事をした。

「いい名前だね。」

 そう言ってにっこり微笑むと、彼はカウンターの方に消えていった。

 …だから、その笑顔はずるいって。

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