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前職を辞めてからの仕事への向き合い方


私の人生この状態がずっと続くのか。

そう思って気付いたら仕事を辞めていて、新しい職場に来て早7か月が過ぎた。

新しい職場は前と同じ職業でありながらも、ありがたいことにみんな優しくてそれほどのストレスもなく、ぬくぬくと過ごしている。



先日仲良くしていた後輩と久しぶりに会った。
前回会ったときは私が仕事を辞めた直後で、「私も年内に辞めるんです~~~絶対!!」と豪語していた後輩は有言実行、念願の退職をして「ほんまやばかったです~!!!!!」と言って私と再び会ってくれた。

今回はいよいよ祝杯をあげようといったところか、前職の「やばかった」ことについての話が止まらなかった。



後輩の話に耳を傾けながら、「今、結構幸せに生きているので忘れていたけれど、そういえば半年ほどまでとりあえず毎日生きて帰ることしか考えてなかったな」とあの頃を思い出していた。


毎日忙しくてみんなピリピリしてて、上司はあまり理解がないから信用できなくて、1年目からちょっと毛が生えたくらいの2年目が1年目さんと仕事をするという今考えれば恐ろしい環境で平然と仕事をしていた。
いや、心は平常心に保つのは難しくって、夜から次の日への心の準備をしないとだめだったし、時には薬に頼ることもあった。

苦しくて逃げるように辞めたけど、冷静になれた今、あのときの経験があるから、まだこの仕事をやることができているのかもしれないと思う。




苦しかったけれど、その分しっかり仕込まれていて、「おかしい」と思う感覚や責任感、時間管理はそれなりに身についた。

2年目から手探りでも後輩をフォローする中で身についたものたちは、今もかなり役に立っている。

案外辛かったのもよかったのかもしれない。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはこういうことか、時間が経って俯瞰して見れるようになったからだと思う。

天地がひっくり返っても前の職場には戻りたくないけれど、無駄じゃなかったことだけは分かってきた。



離れて分かったことには、よかったことだけではない。自分の知識のなさを事あるごとに感じている。

怒られることに対して毎日びくびくする必要はなくなったけども、ベテランさんと比べると、まだまだ浅くてなんとなくな私の知識と自信のなさは時々落ち込む原因になる。


前は「できるのが当たり前」と思われていたから、どんな状況であれ強気でいた。自信がなくても、ある程度は「できます!!」と言っていた。じゃないと、仕事がまわらないか小言を言われるかだから、ちょっとした脅迫観念みたいなものだった。

人事評価が返ってきて思い出したことだが、自己評価も大方「できる」に丸をつけがちになっていたようだ。上司評価とギャップがあって、ちょっと笑ってしまったし、改めて私はまだまだだなぁと実感した。


そういえば、強気でいたけれど、本当は何をしたらいいかわからないし怖くて仕方ない。

環境が変わったことで、改めて感じてそんな本当の自分を思い出したような感覚だ。



あと大きな心境の変化でいうと、前までは近いうちに今の仕事から一度完全に離れたいと思っていたけれど、いろんなひとと話す中で「何かしらの形で続けるのが一番ベターなのでは」と思うことが多くなった。

両親には決して安くはない教育投資を惜しみなくしてもらって、4年間この仕事に就くために時には半泣きになりながらも勉強してきたことが、ようやく報われてきているのではと思うようになってきた。

そして、10代のうちにそれだけお金と時間を使って資格を取ったことで、生活には困らない収入でありながらも多様な働き方を選ぶ権利を手にしていることに気づいた。なかなかそんな仕事ってない。

その「多様な働き方」をすることを選択するためには、間違いなく今の私では能力不足だ。
今の仕事以外にもやってみたいことがあるから、チャレンジできる環境を作りたい。生々しい話であるが、本職で稼げて生活が安定しているからこそ取り組むことができる思うから、収入を確保する上でも今の仕事の能力を上げる努力は必要だなと感じる。


1,2年前の私では考えられなかったけれど、環境や仕事への負担が少しでも減ると余裕も出て考え方も変えられるんだなと思う。



今は知識を増やすための意欲があるうちにここで宣言しておこうと思う。


ちゃんと勉強します。


これさえもなかなか言えず、モチベーションも持続しなかったので誰かが見ている場で宣言して、落ち込んだ時はこの記事で振り返ろうと思う。



人生のプランは思い通りいかないだろうし、思い通りにいかなくていいことも悪いこともあるかもしれないけれど、「未来の自分の選択肢を増やしてあげる」ためにもがんばりたいな。


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