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憧れは憧れのままで終わらせない


先日、ずっとずっと見ていた方の写真展に行ってきました。

写真展や個展は割とひとりで足を運ぶ。

だけども、行くまでどきどきしてその気持ちは会場に辿り着いた時に最高潮に達し、作品を見ているときも落ち着かない気持ちになることが多い。

だから、今回も行くか迷ったけども「お話して写真を撮って言葉ももらえる試み」に応募することで強制的に足を運ぶ機会を作った。

そうまでしても「見たい」と思ったものは見て、「会いたい」と思った人には会うようにしないと後悔するだろうと思ったから。


そして、今回も結果的に行ってよかった。

もちろん、目の前に実体のある写真は画面越しで感じていたのとはまた違った「素敵だなあ」という気持ちが湧き上がったこともあるけども、今回は撮り手の方とお会いし、のんびりと一対一でお話するという経験が私の中で心を動かしたと思う。

その人の人となりに触れながら、素敵な写真と言葉に対しての想いを尋ねると、何か特別なことというよりは意外とシンプルなことが返ってきた。



私がお話の中で印象的だったのは、「写真は人と比べず撮る」こと。
「こうなりたい」の写真は憧れの人が撮る写真と比べて、自分の写真のよくないところばかり目がいって苦しくなってしまう。そんな経験がその人自身にもあったようだ。

これはちょっと意外で、私が知るその人は自分のスタイルが確立されているような人だと思っていた。

「自分の好きな写真」を撮ろうと思うと、憧れのものがあるとどうしてもそのものとの乖離が気になったり、近づけようとしがちになってしまう。
そうではなく、自分が楽しんで好きな写真を撮るうちに「これが私の写真だ」というのがわかっていくものだったりすることは、私自身の経験からも感じている。


さらに、言葉に関しては語彙力的なものも大事かもしれないが、対象のものに思いを馳せる想像力がその人の言葉を生み出す原動力になっているようだ。


それらは特別なことではなくって、私にも意識できることだと思う。
その人にはなれないし、その人のような言葉も写真も撮れない。でも、マインドは取り入れられて、追い求めれば自分の感性を生かしオリジナルな世界を生み出すことができる。


一生のうちで、「憧れ」に近づける日って何回もない。じゃあ、勇気を出して手を伸ばすしかない。

もともとファンイベントとかも「ひとりで行くのもなぁ」と人目を気にしていたけれど、一度行ってみると憧れていた人やものが目の前にあることで、何か自分の中で目指すものや何か感じ取って、自分の中に変化をもたらすことを知った。
それからは、迷ったときは勇気を出して行くほうを選択するようにしている。


憧れは手に届かないところにあると思いがちだけど、その人やものを遠くに遠くに自ら置いているからこそ「憧れ」であり届かないもの、ひいては「崇拝するもの」なってしまうのだと思う。

そうではなくて、もし「その人のようになりたい」「そのものから感じ取りたい」と思うのなら、近づける機会があればそれを活用するしかないと思う。

人柄やその人やものが纏う雰囲気はなかなか画面越しではわからない。
インターネットが発達してSNSもあって、雲の上の存在からちょっと近くなったような気がするけれど、やはり実際に会う・見る・触れるということは自身に与える影響はかなり大きい。

今回の私のように何かその人に何かを聞くということができなくても、もし会える機会があるのなら手に届かない憧れから脱却し、「本当に存在したんだ」というよりわかりやすく目指したい指針に変わるんじゃないかなと思う。


私は「こうなりたい」がたくさんあります。

芸能人の方だったりSNSでつながった人だったりそれらは様々だけれども、全てまるっと崇拝するということではなく、その人たちのいいとこどりをして自分に取り入れたい。

もし、近づくことができる機会があるのならそれを逃さないようにしたいし、内在しているその人のコアな部分を知ろうとしたい。


憧れを憧れのままで終わらせない。


そんな探求心を持ち続けて、自分を磨き続けていきたいなぁと思います。

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