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自分嫌いだった私が自分のことを認められるようになった方法


noteを毎週更新するのが日課になって1年。
自分のことについて、どこよりも多く綴っているのがこのnote。いつも記事を読んでくださっている方々は実際にお会いしたことのない方がほとんどなので、興味本位で私のことがどう映るのか少し気になるところ。

自己肯定感であったり、自分を大切にするお話がここでは多いような気がするので、「自分のこと大好きじゃん」と思われるかもしれませんが、ついこないだまでは自分のことが許せなくて嫌いでした。いや、今でも嫌なところだなと思うことはある。けれど、自分のことが「嫌い」というのはないかなぁくらいにはなりました。


振り返ると、自己肯定感の低さは自信がなかったことが大きいと思う。自分のよいところを知れなかったし、身近に言葉に出して肯定してくれる、「好きだ」と言ってくれる人はいなかった。

とはいえ、全くよいところがなかったわけではなく、頑張ることには長けていた。だけど、結果が出なければ全てを否定してしまう脅迫観念のような上にそれはあり、何事も頑張ることが当たり前。
まだ自分のアイデンティティも獲得していない時期に自分のことを認められず、周りに認められたくて必死だった。

できていないことの記憶が強く、「周りよりも秀でていないといけない」「周りから好かれるようにならなきゃいけない」そんな気持ちから、他人からどう映るかを考えているうちに自分の嫌なところばかり気になっていた。

歳を重ねて、自分の好きな物事が少しずつ「いいね」と言ってもらえることが多くなっていっても、自分のよいところよりも悪いところのほうが目につくのは変わらない。深く刻まれた自己肯定感の低さは簡単には直らなかった。

自分が当たり前のようにしていたことは「真面目すぎる」と言われていじられて、それを真に受けた私は悩んだ記憶がある。(今では愛だったと思うけれど!)

ただ、肯定してくれる人がほしかった。
条件付きの愛ではなく、ただ「わたし」という人を愛してくれる人がほしかった。

ある友人に「あなたは気にしているけれど、何回会ったかは関係なくて私はあなたのことを大切に思っているよ」と言われて、はっとした。
その子は人気者でたくさんの友人がいて、私と会ったのは片手に数えられるくらい。そんな子は私のことなんか気にも留めてないだろうと思っていたけれど、何かと比較してがんじがらめに足りないところばかり気にしているのは、私自身だった。


自分の捉え方ひとつで変わる。
結局、自分のことは自分が幸せにするしかないし、他人に私の価値を委ねるよりも自分がいちばん信じてあげられるようにならなきゃいけないなと。

褒められたことは素直に受け取ったり、他人と比較するのではなく自分軸の基準をもって客観視するように意識するようになってから、少しずつ自分のある一面を認められるようになった。


今では、嫌いだった部分は自分磨きに大いに役立った。絵に描いたような真面目な性格や他人の目を気にすることがコンプレックスだったけども、スイッチが入れば努力を惜しまないことや違和感に気づけること、他者の気持ちを慮ることができるんだと思えている。

以前のように足りないところを悲しむのではなく個性だと認識できるようになった。そうなると自分のことは嫌いではなくなった。
よいこともよくないことも近いところにあって、考え方次第。おおらかな心で自分を認めてあげているほうが生きていて楽しい。


自分の全てを許さなくていい。
だけども、ちゃんと自分のことを自分が知ってあげるのが私の心を救う方法‪だと思う。

だから、嫌なことに見て見ぬふりをするんじゃなくて、良い方向に考えることができればなと思うのです。


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