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5/25 カリフォルニアの空は山下達郎のジャケそのままだった

今日も日記を綴る。
iphoneでメモアプリを開くのも慣れてきた。良い感じである。

朝起きて、昨日思いつきで作った自家製ジンジャーシロップ(最後の写真)にお湯を注ぎ、ホットジンジャーにしたがかなり美味しかったので、もう次回の分を作るのが楽しみである。梅シロップか梅酒かコーヒー焼酎かまた思いつきでふわりと軽く始めたい。

私がどうゆう人間なのかも知らずに私の日記読んでくれているあなたに求められてもいないジンジャーシロップのレシピを授けたいと思う。

材料は以下だ。
・しょうが デカイやつ3つ
・きび砂糖 300g(目分量)
・カルダモン 
・シナモン
・ハッカク
・唐辛子
・水400mlくらい

生姜をスライスし、水以外の材料を混ぜ、少し放置。すると、生姜から水分が出てくるので、それ全てと水を一緒に鍋へかける。弱火で30分。完成である。
生姜は取り出すというレシピが多かったが、寿司屋でガリをめちゃくちゃ食べ、家系ラーメンでは生姜を入れまくる生姜好きの私は味の染み込んだ生姜をミキサーに入れ、シロップと共に保存している。
ぜひ改良を加えて自分好みにしたい。レモン汁、クローブあたりは次回入れてみる。

というわけで言わずもがな素敵な1日のスタートをきった。昨日、さんざん禁煙への決意を語り、タバコへの感謝を述べたが、最後の箱にタバコが3本残っていたので、朝の一服。ベランダでホットジンジャーを飲みながら吸う朝のタバコは至福だった。

ポカポカした天気だったが薄めの雲が空を覆いはじめ、先ほどより少し肌寒くなってきた。太陽はいつも変わらずそこにあるのに、雲が流れてくると私たちは「今日は曇りだね」とか「あー雨降ってきたー」とか言い出す。私は基本的に常にバイブス高く、ハッピーに生きているが、どんよりした天気だとなかなか気分が上がらないこともたまにある。
半年間いたアメリカ西海岸やメキシコは常に砂漠の気候のため、常にカラッとしていて快晴の日々が続いていた。あの天気があれば些細なことはどうでも良くなった。滞在していた半年間に雨に降られたのはおそらく両手に収まる程度だと思う。夜になると、明日も天気が良いのかな!早く起きてカイヤ(🇺🇸友人の飼っているボクサー犬)の散歩に行こう!とワクワクしていたことを思い出した。


日本に帰ってきてから、東京の空の色がカリフォルニアやメキシコと違い、うっすらと白い。大気汚染や黄砂が原因らしい。これは日本にだけ住んでいたら気がつかなったことである。カリフォルニアの空の色は青というより真っ青、むしろ紺碧に近いと思う。私は日本にいる時にその青色の空を見たことがあった。それは山下達郎のアルバムジャケットである。
アーティストの名前は確か永井さんだったかと思う。ヤシの木、赤い車、デカい家、青い空。これだけでカリフォルニアが完成するのである。嘘だと思う人はぜひカリフォルニアに行ってもらいたい。カリフォルニアには“THEカリフォルニア“がただひたすらに存在している。人生は短く、何をしていても時間は過ぎる。どーせなら自分の見たい景色を見て、やりたいことをやろう。突然目の前にフッと現れるご縁にピンときてフワリと行動できるかどうかである。

先ほど求めてもいないジンジャーのレシピを読んだと思うが、スーパーに行ってしょうがを見たときに、「あ、そういえばジンジャーシロップ簡単そうだったな作ってみよかな」となるかどうか、「カリフォルニアの空の色が日本と違う?ヤマタツのジャケットのような真っ青?確かめにいくか」となるかどうかなのである。これが“たまたまのご縁を自らの意思で繋ぐ“ということである。自らの意思でというところが重要である。もちろん私も神社に行って“ご縁がありますように”と5円玉を賽銭箱に入れる。しかし、この人生ご縁は自分で繋いでいくことができるのである。今思うと私の人生ではそういった場面が多かった。
普段はふらふら〜と流れに身を任せることが多いが、友人が新たな人を連れてきた時や、ふっと目の前に現れ、気づいたら打ち解けて話している人がいたりする。その人と対話をし、受け入れてみて、心地いい人がいる。日本ではそう言った時「じゃあ今度〇〇しましょう!」「そうですねぜひ!」と言った社交辞令が存在していて、実現するのは数%だと思う。少なくとも私は面白いと思った人とはまず会いに行っていた。

グアテマラの飲み屋で出会った男はバリスタをしているというので翌日コーヒーを飲みに行ったし、大学時代ケンカの仲裁をしてくれた人には翌日ご飯にいき、それ以降現在に至るまでずっと仲良くしてもらっている。私たちの人生は短いので、出会い方なんか気にしている暇はない。アプリでも、電車で隣に座ったでも、街で同じ靴を履いていたとかでもなんでもいい。それを“ご縁”だと思えるかどうかなんじゃないかと思う。『人は必要な時に必要な人とであう』ということは北中米の旅で実感し、それは私の中本当なのだけど、そうするためには“ご縁”を感じ取る必要がある。ご縁だと思えるかどうかなのである。実際それがご縁かどうかなんて先の未来にならないとわからない。
今だからこそ、あのケンカがきっかけだったんだなと分かるが、その当時は優しい兄さんやな〜くらいにしか考えていなかった。“ご縁“は普通の顔をしている。むしろ普通の顔、全てのことを“ご縁”だと思った方が良い。

先のジンジャーシロップのレシピも、カリフォルニアの空の色も、バリスタも、何かのご縁があり、今ここに文章として残っている。この世の全ての人が‘ご縁’を感じれるようになった時、すれ違うだけで愛は生まれまくり、隣に座っただけで大親友になる。東京では人となかなか目が合う機会がない。ご縁を自ら放棄している。私は“ご縁”にあふれた世界の方が楽しいはずだと思うし、その世界線で生きていこうと思う。

この記事を読んでくれたあなたと私も何かのご縁があるかもしれない。どうぞよろしくね。

カイヤ(ボクサー犬)

p.s
雨の日でも雪の日でも風の日も、この雲のはるか彼方には太陽が燦々と輝いているんだということを忘れない人間になりたい🌝🌞

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