夫と尾道散歩。 木曜日の尾道の商店街はほとんどシャッターが閉まってる。それも味わい深いから好き。
そのままで居てほしいなって、思うことがたくさんある。 どんなものでも少しずつ変わっていくって分かっているから。その分、いとおしい。 いとおしい、はずだったのに。不変なんて存在しないことをこれでもかと思い知らされて、ひりひりしたりする。こわがったりする。 本当は分かっていなかったのだと露呈する。 勝手に変化していく過程を楽しめるのなら、それが一番理想ではあるけれど。自分でも分からなくなるくらい、私も変化している。 それが、たまに、ぎゅーっと。寂しくなる。 締め付けられる
日々のこと、メモはしてたのに。月の半分まで何も書けなくて。本当にマイペース!貼り付けたい写真と紙片が溢れてしまってる。 一月の手帳の分厚さがこれで、 今はこんな感じです、想像以上だった! 辞書みたい。ここまで来ると達成感。 はじめてのほぼ日、ちゃんと記録しなきゃって意識になってしまいがちで大変だけど。楽しく書けてるし、良かった。 私は書くとどうしてもみっちり書いてしまうので、次は無地にして余白も大事にしたいなと。来年はMDノートにします。 好きなときに好きなだけ書
最近、それぞれ違うひとから、朝焼けと夕焼けの写真をいただいて、宝物にしてる。 ずっと眺めていられるなぁと思った。 私の始まりと終わりもこうだったら良いな、なんて静かに考えたりもした。ちょっとだけ。 空って何でこんなに美しいんだろうか。素直でいたいな。隠さないでいたいな。 上手くまとめられないノートとか、書き途中の日記とか、読み返すだけの紙片とか。 全部ひっくるめて、今の私らしくて、そのままでいて欲しいとさえ思う。もう少ししたら居ても立っても居られなくなるのだろうね。
九月は、全然書けなかった。 手帳に書く必要があまりなかった。ほとんど、手に取って触るだけでいいような気がした。 反面、私の気持ちは口で言ってしまうより、十分すぎるくらい時間をかけて文章として紡ぐ方が合ってるのだね。と再認識したりもした。 何よりそちらの方が生々しくて、時に痛みを伴ったりもするけれど。直接的であるし、余すことなく伝え切ることができるよねって。 綴ることが大事だと思う、私にとっては。今のところ、これ以上の愛情表現が見つからない。 僕等は命を惜しむ/僕等は
「これは扶木ちゃんのためのグラス!」って、プレゼントしてもらいました。 磨りガラス、金魚の体にちゃんと鱗があるように見えて素敵・・。夏以外も使っちゃう。 今までにないくらい、ふとした時に欲しかったものとか、好きなものがやってきて(大体夫から)。神様からだ・・と思ってます(笑) おみくじにものすごいメッセージが詰まってて、愛の塊でした。何度も読み返して考えて。そのままの私で迷わないように。 最近、自分用の水彩絵の具を買いました。いつも子どもたちの学校用を借りていたので。
カレンダーは余白たっぷりなんだけど、目まぐるしさはすごい八月でした。 昨日思っていたことと、今日思っていることはまるで違っていて。昨日の熱のまま書いていたら、私はどんな言葉を綴っていたのかな。 目が覚めてそんなことを思いながら、過ぎた日から微妙に変化した世界を見つめてみる。 そういえば古い手帳たちとさよならしました。 閉じ込めた言葉たちはもう自由になるべきで、私も手放してあげないと。 今までごめんね。守ってくれてありがとう。
書き溜めていたものがまとまらないよ、と思いながら九月を迎えました。 ここ最近は絵ばかり描いています。なんだかよくわからないけれど描いてます。 ずっと気になっていたスケッチブック。絵を描く手帳って私にピッタリだなぁなんて。 嬉しくてとっておきのステッカーとポルコを付けました。自分に豚になる魔法をかけてしまうような、でも人間らしいポルコが大好きです。 もわっとする暑さで外では熱風だったのに、出雲大社ではものすごく冷たい風が何度も何度も吹いて、神様のお気遣いに感謝です。
六月から続いた色々に、気持ちが揺ら揺らしたまま、あっという間に過ぎていった七月。 主に子どもたちのことだったので、夏休みに入ったら落ち着きました。一学期、よく通ったねって。今はゆっくり充電中。 私も明日から三日間の夏休みです。 海に行って貝殻や石を拾った。素敵な映画を観た。お気に入りが増えた。ずっと気になっていたところを片付けた。故郷へ帰って懐かしい道を歩いた。紫陽花の押し花を作った。夫が作ったチーズケーキが美味しかった。 揺ら揺らの中で、やっぱりありのままで良かった
目まぐるしくて、痛みを伴って、言葉にするのが難しいなと思いました。浅はかだと、脆い。ひたすらにもがいていたような六月。 何でもないやって受け流したいのに、突きつけて答えを待ち構えている。ありのままでいいよ。いさせてよ。そんな、せめぎ合い。 記憶のある部分だけ。七月も真ん中まで来たけれど、私はまだ揺れています。
三月・四月、手帳と距離を置いていたのですが、五月は割とマメに書いていました。 楽しく過ごしている時間が殆どだけれど、残さなくてもいいように思える瞬間や複雑な気持ちも少なからずあって。でも切り取っておくことにしました。今にしか居ない、存在しえない、私だけが感じ取ったことだから。 さよならが増えては、何事もなかったかのように消えていく。かと思えば、綺麗に残されたまま痛くないように上書きされていく。 紙切れにありのまま書いていくと浮き彫りになるので、肯定も否定もしないで只々眺
仕事が落ち着いてきたし、そろそろ二人で出掛けたいね。・・ということで、また島に行ってきました。天気は大雨でした。 生みの母、育ての母、母のような存在など「母」のあり方や感覚って人それぞれだなと思うので。全ての母と呼べる存在を想い、感謝の気持ちで参拝しました。 未来心の丘、白い大理石の庭園。
只々、毎秒が美しくて尊い瞬間なのに、上の空で違う景色を求めがちだったりする。
書き途中のnoteの記事が溜まっていっています・・どれも丁寧に書きたくて、でも書き終わらないのでどうしよう💭 四月は入学式・新学期に繁忙期。ドタバタと、本当に毎日色々とありました・・思春期と反抗期と仕事に向き合う毎日。日々、修行です。 お弁当作りも始まったので少しだけ早起きになり大変かなぁと思ってたけれど、意外と朝の自分時間が豊かになったような。 そしてやっぱり春が心地良くて。桜の写真を沢山撮りました。押し花も作ったし、満足です。 どちらかというと手帳と距離を置いてい
体調不良で三月は中々書けなかったほぼ日。 でも毎日書けなくたっていいじゃない、と当たり前のことに気が付き。誕生日のプレゼントだったので、余計に毎日書かないとって勝手に思ってました。休み休み、ゆるーく記録。 こう何年も手帳を綴っていると、日々私は変化しているのだなと、改めて感じます。大事にしたいこと、そうでもないこと、何をするか、何をしないか。自分で決めて、自分で選ぶ。 何かをダメだと決めつけるのも諦めるのも全部自分なのだから。否定しないことは心地よいし穏やかで居られる。何