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いつかの色は遠く

車窓から景色を眺めていた。
2月の曇天は空が下手くそに笑っているようで、すこし明るい。

電車が追い越して行く家々の中にぽっかり開けた場所があった。よくよく見てみれば、それは小学校の校庭。偶然行間休みの時間だったのか、私服姿の子供たちが校庭中に散らばっていた。

まだ肌寒いというのに、子供らはそんなことを感じさせないくらい元気だった。
色とりどりの暖かそうな服を着て、あっちこっちへ鉄砲玉のように動き回っている。
子供って凄いなと思ったのと同時に、自分もああやって過ごしていた時期があったことを思い出した。

小学生の頃は休み時間が来ると同時に教室を飛び出して、学校にある一輪車を手に校庭を目指していた。一輪車の中にもタイヤの空気がしっかり入っているのとそうでないのがあって、どの一輪車が良さそうか前日から目をつけることもあった。

あの頃はカラフルな一輪車に、色とりどりのフリースを着た女の子たちに混ざって乗っていた。

しかし中学生になると、学校に一輪車はなかったし私たちは同じ紺色の制服を身にまとっていた。日常の色鮮やかさはこのときから減って行ったのかもしれない。

別にその善悪を語るつもりは無い。同じ制服であってもどうにかかわいく差別化を図ろうとしていた同級生は結構居たし。ただ自分がどうだったかと言えば、その頃トラブルがあったこともあり大人や同級生に目をつけられないようにということを兎に角優先していたような気がする。

自分の色を他人に馴染ませるように。決して黒の中に白が居ると思われないように。

その考えかたは呪いにも似た癖になった。それに気がついたからこそ、その呪いをすこしずつ解いてやりたい。自分が生きて行くであろう未来を、もうすこしカラフルにしてやりたい。

例えば花開くように、葉が色づくように、空が移り変わるように。急には難しくても、すこしずつ。

周りの顔色を伺うことは誰にでもできることでは無いし、周囲を気遣えることも誇るべき個性。その上で今度は私が私を気遣ってやれたらいいと思う。他の誰よりも、長く付き合っていく私だから。

好きなものを好きと言っていい。着ていい。見ていい。食べていい。持っていい。
もう、自分を許してあげたい。
同じ人間はこの世にひとりとして居ないから、違っていて当然だから。周りと同じように出来なくても良い。馴染めなくたっていい。今までよく頑張ってよく耐えた。これからは違う方法で私は私を守ってあげる。

違うことを、誇りに。

色とりどりの服を着て、輝かしいほどひたむきに遊ぶ子供たちを見てそう思った。
人に向けた優しさを自分にも。

そして、読んでくれたあなたにも。

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