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いのちの時計

こんばんは
今日は退社したころ、風が強くて傘にふりまわされてしまいました。みなさんは大丈夫でしょうか?

前回、前々回と、私のつたない記事を読んでくださった方がいらっしゃるようで、とても嬉しいです。ありがとうございます。

今日は、いのちの時計なんて大それたタイトルをつけたんですが、そんなにかしこまった記事ではないんです。良ければ、ゆっくりしながら読んでもらえたら嬉しいです。

まず、なんでこのタイトルかというと、ふと思い出したことがあって。ひとの一生を、一日の情景に例えるという話です。

こうやって聞くと、生まれた時は朝で、若い頃が昼間で、壮年のイメージはなんとなく夜中とか、そういう一日の終わりをイメージすると思います。そのまま眠りにつくような雰囲気ですよね。

けれど、そう思うのになぜか私は、人生の終わりには夜明けのイメージが浮かんできます。不思議です。

私のイメージにはきっと、卒業の意味合いがあるのだと思います。卒業って、たいていはその後になにかの始まりがあるから。また朝が来るように感じているんでしょうね。

一日の情景といえば、音楽を聴いていてもそんなイメージが浮かぶことがありませんか?
そういう時間帯でいうと、今の私は夕方か朝焼けの曲が好きです。なにかに挑戦している時はイケイケな曲を聴きたくなるんですが、今は少し静かな曲やしっとりした曲の気分です。

夕方の曲だと、東京事変さんの落日。朝焼けの曲だと、スターダスト☆レビューさんのめぐり逢えてよかった。この二曲が好きで、よく聴いています。時間のイメージは私の勝手な想像ですが、どちらも素敵な曲なので聴いてみてください。

話が逸れました。

いのちの時計って言葉だと、寿命が思い浮かぶ方もいるかもしれません。寿命って、なんなんでしょうね。むずかしいなと思います。

これは、まだ下書き段階で公開に至っていない記事で書こうと思っていた事なのですが(書いている間に苦しくなって続けられなくなってしまいました)、私は仲の良い友人を二人亡くしています。二人とも、まだ子供と言える年齢でした。もう十年以上経つのですが、未だに二人のことを思い出します。

二人のいのちの時計は、何時を指していたんだろう?

考えては、苦しくなります。二人のことを想っては、人生をしっかり生きなくてはと感じます。けれど、その想いに苦しめられることもあります。ひとのいのちは、誰かに背負いきれるものではない。勝手に背負った気になっておいてなんですが、そう思いました。

でも、時にその想いに助けられることもありました。私がお芝居を勉強していたとき、踏ん張らないといけない場面ではいつも、二人の存在が私を後押ししてくれました。

生きてるうちに、やりたいことをやりきるんだと。

ひとのいのちの時計は、いつ一日を終えるのか分かりません。ある日突然、止まってしまうこともあります。

だからこそ、いつ来るのか分からない終わりに目を向けるだけではなくて、いまを見つめることも、生きることなんだと思います。

未来に怯えていまを生きられないなら、未来から目を逸らすこともあってもいいのかなって。そう思えた時に、なんだか少し、心がまた帰ってきたような気がしました。

いのちの時計は私には見えないけれど、誰の時計も、いつかは刻むことをやめる時が来ます。その時までどうやって生きていこうか考えるのは、旅の予定を立てるときの楽しさに少し似ているように感じています。

みなさんはどんな旅の予定ですか?
私はこれから、楽しいと思えることややりたいと思うことを詰め込みたいと思っています。
そんなことを思いながら、今日もたくさん寝ます。

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