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静かの海

こんばんは
静かな夜に、ふと思いついて書いています。

最近は日が長くなって、会社帰りの時間でも夜と言うよりは夕方の空を見上げて居ることが多く感じます。この間は、雲が波の形に似ていて、それがまた通勤バスの窓越しに見ていたので絵画のようでした。空なのに海だなあと。

今回のタイトルは静かの海なんですが、例のごとく深い意味はなくて、この間見た空の海と、そういえば月にも海があるんだよなと思ってこのタイトルにしました。静かの海って名前、お洒落ですよね。月にあるそうです。

私がこの名前を知ったのはEGOISTさんのPlanetesという楽曲の歌い出しでした。
静かの海にひとり。
この部分を初めて聴いた時は、まだ月にあるのだと知らなくて、静かな海のことを静かの海と表現したのだと思っていました。実際、静かの海にひとり、という状況を想像してみるとなんだか切なく、寂しい情景だなと思います。

さて、今回なぜこうやって記事を書いているのかと言うと、またひとつ、心が帰ってきたような気がしたからです。

早速ですが、私は以前お芝居の勉強をしていました。ちょっと不思議な表現ですが。人によっては芝居は勉強するものではない!という方もいるかもしれませんが、とりあえず受け流してください。

私はお芝居が好きです。見ることも、演じることも好きです。けれど、それを仕事にするのは無理だろうと、諦めようとしました。結論から申します。諦められていません。なぜなら、もう無理だと言う実感が無いまま、その場所から離れてしまったからです。

まわりのひとたちには、え、やめちゃったの?とか、もっとやればいいのに、と言ってもらうこともありました。そのとき私は、これでいいの、後悔はないの、と自分に言い聞かせていました。けれど実際、こうやって後悔どころか、再びそこに飛び込もうとしている自分が居るわけです。浅はかでしたね。そう簡単に諦められるくらいなら、もっと早くに興味を失っているタチだろうに。(私は物によりますが、熱しやすく冷めやすいタイプです)

最近、皆さんご存知かもしれませんがこころの絶不調がありました。今日は安定していた日々から急に落ちて、ショックを感じました。そんな中気がついたのが、もしかして心がやりたいと思うことと違う方向にはまろうとしているから余計不調になるのではないか、と言うことでした。

私は普通にならなければ、しっかりしなければ、ちゃんとしなければ、とずっと考えていました。けれど、客観的に私を見ている人は、もっと自由でいいんだよ、やりたいことをやってみなよ、と言ってくれる。中には、私はあなたのお芝居を見るのを楽しみにしているんだよ、と言ってくれる人までいる。もう辞めたことを伝えているのに。

私のまわりのひとは、私の夢を諦めていないのだ。(ひょっとしたら、言ったことを忘れているだけかもしれません)
都合のいい解釈かもしれませんが、そのことがまたひとつ、私のこころを埋めつくそうとしていた暗がりに、灯りを点してくれたように感じました。

もしも、何か始めようと思われる方で、今二の足を踏んでいるような方が居たら、伝えたいことがあります。また悩んでしまう日が来た時の自分にも、今の私の想いとして、残しておきたいことです。

何かを始めようとするときに、年齢的なことは、もはや戻りようがないのだから悩んでも仕方がありません。戦略を練る以外は一旦置いておいた方がいいでしょう。それに、時間を重ねたからこそ感じられることだってあります。

他人の物差し、世間の物差しのひとつに、悩まされすぎないように。自分の人生を進めるのは、自分しかいません。そして、物差しを当ててくれる人も、責任はとってくれません。なにも、周囲に迷惑をかけろだとか、変人になれと言っているわけではありません。周りに合わせようとするあなたは、とても立派です。

ただ、心がやりたいと思う何かがあるというのは、とても尊く素晴らしいことです。どんな夢でも(犯罪でないなら)、無理に捨てる必要も手放す必要も、ありません。

未来はつねに、予測不能です。こうなるだろうというルートがあっても、一から十まで全てが予測できてまったく全てがその通りになることは、まずありません。

そして過去は、あなたがタイムトラベラーでない限りは変えることができません。悔やんでも、今の時間が過ぎていくだけです。もちろん、傷を抱えていて、それを癒すために原因を探すというようなことなら、必要だと思います。

今と、ちょっと先の未来は、比較的簡単に変えることができますし、それなりに予測もできます。その指針に、過去の出来事を参考にするのは、経験を生かすという意味でとても良い事だと思います。

過去が今の自分を作り、今の自分が未来を作る。

色んな媒体で使い古された表現ですが、やっとこの言葉がピンと来たように感じます。とはいえ、そんなに壮大なスケールでとらえなくても大丈夫。これはなんだかんだ言っても、当然のことなので、勝手にそうなります。ただ、もしもやろうと思うなら、今の自分に付ける装備や、もたせる荷物を選ぶことが出来ます。そしてその選択が、もしかすると未来に影響します。

小さくても大きくても、どんな夢でも。なにか望むことがあるのなら、いくつかの不要な恐れを受け入れて、ちょっとした事でもやってみる。そして、簡単な事だったとしても、やってみた自分を褒める。

そうやって、自分を優しく見守ってあげる係を自分の中に置くのも、疲れた現代人には必要なことだと思いました。夢があってもなくても、なにも悪いことは何一つない。船長で航海士で乗組員な自分の人生、あっという間に過ぎてしまう航海です。こころに優しく、生きていきましょう。

そのために、たくさん寝ます。

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