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デパ地下女王おばぁちゃん

私のおばあちゃんは、2年前に90歳でなくなった。

85歳ごろから認知症が悪化してしまい、施設に入り、私が海外に行く前に会いに行った時には、ついに忘れられてしまっていた。

「お世話になっております」と。その日担当のヘルパーさんだと思われていた。

でも不思議と言われることは、しっかり認識していた頃と同じで、「背が高いのねぇ」「あらやだ!手が冷たい(冷え性)」「なんだか娘(母)に似てるわね」と。

施設で一人涙。施設の方々には、そういう日もあるだけだと慰められた。

でも、おそらく私の中で、お別れをしたのがその日だった。その足で喪服を買いに行き、覚悟をして海外へ出発した。

実際には亡くなる前の一時帰国でもう一度会い、母と会いに行ったことでどうにか思い出してもらうことができた。

亡くなったときには、すっと受け入れることができた。もちろんお葬式では号泣したけど。

最終的には少し苦い思い出が残ってしまったが、思い返すとおばあちゃんのおかげですごく貴重な幼少期を過ごしたし、おばあちゃんは相当特殊だったなあと思う。

デパ地下の女王だったから(笑)そんな記憶を少し残しておこうと思う。

おばあちゃんのプロフィール

3人兄弟の次女。お母さんをはやくに亡くし、幼少期は苦労したといつもいっていた。お見合いでおじいちゃんに出会い、結婚。のちに社長夫人となる。

お見合い相手の条件は、背。『顔はついていればいい』という名言(笑)

ニューヨーク、香港での駐在を経験。自慢は、ニューヨークに着物をきていったこと。当時20時間くらいかかる飛行機を着物でいくなんて想像したくもないが、いつも誇らしげだった。

幼少期はお金にも苦労したといっていたが、社長夫人になって以降は裕福だったのだと思う。デパートが大好きで、2週間に1回はおめかししてデパートにいっていた。

おばあちゃんとデパート

幼少期の記憶は、おばあちゃんと行くデパート。おばあちゃん自身が裕福だからといって、私が幼少期からブランドものづくしで。。。かというとそういうタイプではない。

たしかに、ラルフローレンだったり、デパートの子供服売り場の洋服を定期的に買ってもらえる裕福さはあったが、基本的にはディズニーストアやサンリオで何か買ってもらえるというのが通常だった。

自分で洋服を買うようになる年頃になると、どんどん安くてよさそうなものが増えていったので、定期的に中学生までめっちゃ贅沢な服きてたなぁなんて振り返ることが多かった。

と、こんな感じで『何かを買ってもらえる』という孫得なものはもちろんあったのだが、それよりも強烈だったのは、おばあちゃんとデパ地下での姿。

とにかくすばしっこく、店員さんと会話を楽しみ、ばんばか購入していくのだった(笑)

デパ地下ルーティン

おばあちゃんのデパ地下ルーティンは、だいたいお肉(今半)→お魚(魚久
)→お惣菜という感じだった。

彼女の中で、まわる順番や買うものが基本的には固定化されていたため、どんなに混んでいるときでもさささっと道を進み、気づいたらお会計に進んでいた。

それが、日本橋高島屋であろうと、新宿伊勢丹であろうと、銀座三越であろうと。

重たいものがもてなくなって、カートを使いはじめたときも、それは変わらなかった。私の母・兄・私がおばあちゃんを一瞬で見失うくらいにはすばしっこかった(笑)

焼き鳥、中華、和のお弁当、洋食など、購入するお惣菜は多ジャンルにわたり、どのカウンターでも店員さんに無駄話につきあわせる、そんなタイプだった(笑)

ちなみに、社会人になって、RF1を買おうと思い立った時に、100gあたりの価格に驚愕したのを覚えている。まだ幼い頃は、デパ地下でのお買い物が一番めんどうではやく終わってほしい時間だったため、何がいくらかに気をくばったことはなかったようだ。

甘いもの好きの血

おばあちゃんは、甘いものが大好きだった。

裕福だったからといって、高級なものしか食べないわけでは決してなかったので、家にはジャイアントコーンとかかき氷がストックされていたし、カールやとんがりコーンも好きだった。

でもやっぱり、デパ地下女王として、デパ地下スイーツもしっかり網羅していた。特に記憶にあるのが、御座候(ござそうろう)というあんこの入った一般的には今川焼といわれるもの。

デパ地下の一角で売っていて、気づいたらおばあちゃんは列に並んでいた(笑)一人暮らしにもかかわらずしっかり5個入りを買って、冷凍して楽しむのが彼女のスタイルだった。

おばあちゃんは一人でもデパートへお買い物をしにく人だった。そんな彼女の行きつけは、時に千疋屋のマンゴーカレーとパフェだったり、高野フルーツパーラーの季節のパフェだったりした。

SNSを活用しない年代に、とにかく足を使って試しお気に入りをみつけたらとことん通って飽きるまで楽しむタイプだった。

私は自分を「甘いもの好き」とまでは自認していないが、幼少期は当然おばあちゃんに影響され甘いものに囲まれぷっくぷくであった。だが、幼少期に喜んで食べていた生クリームは、大人になるにつれて苦手になっていってしまった。

ただ、おばあちゃんの甘いもの好きの血はわたしの中に確かに流れており、デパ地下でみるスイーツにはいつだってテンションがあがる(買うかどうかは別(笑))

デパートの記憶

残念ながら、認知症の進行と体力の衰えと共に、電車で行くデパートという場所は彼女の人生からなくなってしまった。

あんなに大好きだったのに。。と考えてしまうと寂しい気持ちにもなった。それでも定期的に、あれはおいしかったね、あれよく買ってたねと思い出される記憶があったので、やっぱり彼女の中に占める部分は大きかったのだと思う。

大人になって、ジーパンでふらっと入れるようになってしまったデパート。昔はデパートに行く、という予定の日は子供ながらにおしゃれをした。でも今はよくも悪くもハードルが低くなり、服装を気にかけてデパートに行くひとは少ないだろう。

いまでも、日本橋の特別食堂だけは名残があるように感じて、たまに行くのが好き。

ふとおばあちゃんを思い出すときは、やっぱりしゃんとした格好をしてちょっとぎらついた感じのある姿。

おばあちゃんの3回忌にはおかあさんときれいな恰好をしてデパートにいこうかなんていう話をしている。

なんか買ってもらえるかなぁ?(笑)










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